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「神さんがみてはる」佐藤愛子のエッセイから

   

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『中学生の荒廃を日々のニュースで知らされ、日本中の人が心を曇らせている。

そんなとき、文部省が言いだした、持ち物検査や文部大臣

「人の命の大切さを教える」といった意見は、私にはあまりにも空疎に見える。

人の命を大切さを、ここまで荒廃してきた少年たちにどうすれば

教え込めるだろう。

 

いったいなぜ、日本人はここまできてしまったかという疑問は

皆の胸にある。学校教育が悪い、家庭のありかたに問題があるという

声はあちこちから上がっているが、ではどうすればいいかということに

なると案が少ない。病は膏肓に入っているのである。重病人に向かって

栄養学を説いても仕方ないのだ。つらつら考えていると、子供の頃

大人にいわれたこういう言葉が浮かんできた。

 

「神さんがみてはる」昔は何かというとそういって子どもを戒めたものである。

 

人は騙せても神さまは欺けない。何もかもお見通しである。

道にはずれたことをすると罰が下るなどといって。

では「道にはずれる」とはどういうことか。

嘘をつく。盗む。人を欺す。親不幸。喧嘩。物を粗末にすることや

犬猫をいじめることまで幾つもあった。昔の子どもの多くはこうして素朴な

形で人として守らねばならぬことを神さまを引き合いに出して戒められた。』

 

以上は、佐藤愛子のエッセイ『老残のたしなみ日々上機嫌』の

「神さんがみてはる」からの引用である。

 

『そして今、日本人は知識を最高のものとし、すべて言葉(観念)に

頼るようになった。

だが百の説教よりも嘘をつくと死んでからエンマ様に舌を抜かれるという

素朴なオドシの方が子供の心に深く沁み込むものである。

子供は感情に響く教えを吸収して育つ。

そうしてエンマ様と神さまは子供の心を育てたのではなかったか。』

と結んでいる。

 

わたしも膝を打つ。同感である。

かつて子育てに奮闘していたころ同じように

「おてんとうさまがみているよ~」と言いきかせていたものだ。

 

すべてのものには、命があるということ。

庭木の草花1本にも、もちろん愛猫やワンちゃんもだ。

話はできなくても、こころがあるということを。

庭の花を折ったりすると、「お花が泣いてるよ~」

と言っては幼い子の感情に訴えかけたものである。

親が悲しそうな表情をして真剣に話すと効き目はあった、と自負している。

数十年前の話だ。

 

子どもどうしで遊んでいて、おもちゃの取りあいから

ケンカになったり、親はもハラハラすることが多い。

しかし物事は、自分の思い通りにならないことを

子どもにはたっぷり経験させることが必要だ。

 

ケンカをしたり仲よくなったりしながら社会性を育てていく。

可愛い子には旅を・・・のとおり少し距離をおき親としての務めを果たしたい。

親はつい、苦労のないレールを敷きたがる。

その気持ちも理解できるが、ときには突き放し見守ることも必要だ。

 

そして、自分に恥じない生き方をしてほしい。

せっかくの大事な人生だから。神さんがみてはりますよ~~

佐藤愛子のエッセイを読み、つらつら思った。