コップの水が半分
物事の捉え方をみるときに「コップの水」が引用される。
「コップの水がもう半分しかない」
「コップの水がまだ半分もある」
とらえ方ひとつで明暗くっきりだ。
わたしは、どちらかというと「まだ半分もある」という
楽天的な生き方をしてきた。
諦観といえば聞こえはいいかが、クヨクヨしない性質だ。
雷にとつぜん、打たれたような今度の病に対しても飄々として受け止めた。
なってしまったものはしかたない。
これまで病気ひとつせずに生きてこれたのだから、それだけでもありがたい。
もう少し生き延びてチビスケたちの将来を見届けたいという
思いもあるがそれは天の采配にまかせよう。
人間あしたのことはだれにもわからないのだから。
隣のベッドの高齢の女性(たぶん80代ぐらいか)は、脳こうそくを
患い術後、目が見えなくなった。
いま懸命のリハビリ中で半年後ぐらいには少しずつ見えるように
なるといい、望みは捨てていない。
毎日同居の娘さん、お孫さんが片道1時間かけて見舞いに来ては
話相手になったり、食事の世話などをしている。
その女性がたびたび、漏らす・・・
「まさかねぇ、この年になって目が見えなくなるとはねぇ。辛いですよ・・」
「みんなに迷惑かけて・・・」
「このさきどうなるのやら・・生きていても・・・」
気持ちは痛いほどわかる。
人間、だれしも家族にさえ迷惑をかけたくないと思うものだ。
突然の病で身体の自由がきかなくなり憂える気持ちがわかる。
でも、わたしは彼女にいつも言う。
「○○さんは、しあわせですよ~~」
だってまだ歩けるし、目が不自由だといっても一人で
トイレにも行けますし、食事も摂れますし、お元気なほうですよ~、と。
「元気が出ます、ありがとうございます~」
などと、反対にお礼を言っていただき恐縮している。
もうおひとりの高齢女性は、やはり術後の後遺症で
歩けなくなり、車いす生活が2年以上続いているという。
ときどき洗面所で顔を合わせ、素敵なパジャマを着て
おられることから、声をかけたことがきっかけで
少しずつ、会話をするようになった。
最初は本当に暗い表情が多かった彼女も、ほんのり
笑顔を見せるようになり、こちらも嬉しくなる。
同じように息子さんが、毎日のようにベッドに寄り添い世話をされている。
夫さんも一緒に。
「歩けなくなって辛いですよ」とおっしゃる。
わたしの母も足は丈夫だったのに、梗塞を患い歩けなくなり
悔しがっていたから、よくわかる。
からだの一部が意図しないことで自由にならなくなるのは辛い。
それでも、わたしは彼女に言う。
「まだまだ、しあわせですよ~
あんなに甲斐甲斐しく世話を焼いてくださる息子さんがいらして
世の中、そんなに優しい息子さんばかりではないですよ、しあわせですよ~」
彼女はそのときだけ「そうですか、ありがとう」と、にっこり微笑んでくれる。
一方では、ものごとを真正面から受け止めしっかり現状を打破した方もいる。
他の病院で脳の手術をしたあと、歩行困難と言語障害が残った50代後半の男性は、
治療の副作用の辛い状態にもめげず、医者も驚くほどの回復ぶりを見せ
退院されていった。
もちろんまだリハビリは続くけれど。
悲観的に物事をとらえていると、どんどん奈落の底に
引きずられてしまう感がある。
どうせなら、一日気分良く暮らしたいし、ものごとの
良い面を探して納得して生きたい。
どのような環境下にあっても、だ。