人はひとりでは生きられない。


江戸系・連休白



ベランダの窓を開け放していると雀やひばりの鳴き声とともに、
サクサクッと土を掘り起こす音が聞こえてくる。
何かを移動しているのかヒソヒソとした話し声も聞こえる。
朝の6時台である。


芝生の手入れや草引きなどを住人がボランティアでやっている。
もう少し陽がきつくなると、水遣りの仕事も出てくる。
マンションの管理はもちろん委託されているが、“少しでも住人の手で”
ということで現役を引退した男性陣が世話を引き受けているらしい。
わたしも今、時間があるから参加しようかと思うけれどその勇気もなく
黙ってその恩恵に浴している。
他者の役に立つことなど何もしていないグウタラ生活者である。


昨年の退職以来、他との接触を遠ざけていたわたしである。
そんなに柔ではないはずなのに心身の疲れが溜まっていたのか
電話や来訪者の応対さえ億劫な状態が続いていた。
ゆったりした時間の流れの中から少しずつ元気を取り戻していることを実感している。


そんななか、友人や知人たちとの交流が活発になっている。
6階に住む知人の女性は60代半ばであるが
週1回高齢者の傾聴ボランティアをやり、好きな社交ダンスも愉しんでいて
4月から都心のある講座にも通いだした。
ニコニコと嬉しそうで毎日が充実していそうである。


「最近、空しくて仕方ないのよね、落ち込んでばかり・・・。」
その彼女が、ポロリと言う。
わが家の玄関先での立ち話であり、他に人がいたから詳しく聞けなかったのだが
その気持ちは、何となくわかるような気がする。
入社して張り切っている矢先の人が、ふと何かの拍子で落ち込む
5月病のようなものだ。
充実しているときに気持ちの落ち込みは、やってくることが多い。


それでいいんじゃない! 落ち込んでOK! 空しくてOK!
自分の気持ちがそうであれば、無理に元気である必要はない。
空しい自分を、落ち込む自分を、あるがままに受け入れたらどうだろうか?
人間、生身だから、ふっと元気がなくなるときもあるし、
満たされない思いをすることもある。
生きているんだから当たり前!
いつも、いつも、エネルギッシュで、前向きである必要はない。
愉しいことの裏にはそうでないことも潜んでおり
ものごとはいつも表裏一体でやってくる。
いまの自分をしっかり受け止めたらいい。


いい加減にも、わたしはそのようなことを話した。
「何だか気持ちが楽になったわ〜」
彼女は軽い足取りで帰っていった。


ささいなことだけれど、心の憂いを誰かに聴いてもらうだけで
肩の力が抜け、希望が湧いてくることもある。


わたしは、世の中の何の足しにもならない人間だ。
厭世的な日を過ごしてはいても、人はやっぱり好きで、愛着を持っている。
相手の気持ちを一生けんめい聴き、そして受け入れようとしている。
悩みを抱えた人が自らの力で、自らの生き方を方向付けられるよう
少し言葉を添える。
そんなところが、多少まわりの人間の共感を呼ぶのか
様々なひととの関わりを持つことになる。


わたしは、はっきりモノを言う人間ではあるが
決してそれは攻撃的でもないし
否定的なことを言うわけではない。


ただ、相手の人間性を尊重し受容するのみである。
人はひとりでは生きられない。
自らも他者との中で多くを学び、元気をもらっている。



江戸系・峰紫