平凡なしあわせ・・・


江戸系・初くれない



わたしは携帯電話を持っていても、さほど活用していない。
メールも携帯では、まどろっこしいからめったにしない。
しかもカバンの中に入れたままにしていることが多く
電話があっても気がつかないでいる。
映画を観たあとでも電源を切ったままにしておくなど
肝心のときに繋がらないので何のための携帯電話か
よく夫や息子たちに苦情をいわれたものである。


今は気ままなひとり暮らしである。
先日も朝から出かけていておしゃべりに夢中になり
娘から携帯に電話が入っていることを知らなかった。
気がついたのは翌日の昼ごろである。
30分置きぐらいの着信歴が残っている。
めったに自分から電話をよこすことのない娘がどうしたのか?と
心配になり電話をしてみると「昨日は頭が痛くて気分が悪いから
少しのあいだ子どもをみてくれないか」と、頼もうと思ったのだという。


娘は、母親が近くにいてもあまり頼みごとをしないほうである。
それがわざわざ電話をしてくるのだから、よほどのことと見える。


1日経ってだいぶ落ち着いたと言っていたが、
たまにはわたしもチビちゃんと遊びたいし、ここ半月ほど会っていない。
1歳のかえでの体操教室の帰りにこちらに迎えにきてもらい
3歳の潤平の幼稚園のお迎えにいっしょに行くことにした。


ちょっと見ないあいだに、潤平はおしゃま度に拍車がかかり
顔つきもキリッとしてきた。
やはり集団生活はチビさんの発達をますます促すものらしい。
いつの間にか、ママのことを「おかあさん」とも呼んでいる、驚いた。
帰ると、玄関で靴を揃え、カバンと帽子を玄関口のハンガーにかけている。
へぇ〜3歳がよくやるじゃない、ばぁばは感心する。


少し遅い昼食を摂るとママには少し休んでもらうことにした。
ばぁばは、洗濯物をたたみ、台所の洗いものを片付けると
潤平とかえでと遊んでもらう(?)


絵本を読んだり、一緒にパズルやカルタをしたり
おもちゃのピアノをひいて歌い、なかなか忙しい。
かえでは、特に音楽や歌には関心を示し、嬉しそうに手を叩いたり
上げたり下ろしたり、腰をくねくね上手に踊る。
最近の乳幼児のマセていること・・・
そういえば潤平も1歳ごろ、こんな感じで音楽に合わせて踊り
ママやばぁばを愉しませてくれたなぁ。


潤平はすっかりお兄ちゃんになり、かえでにあれこれ手を貸してやっている。
時折、かえでの意味不明な言葉も通訳して、ばぁばに教えてくれる。
まったく頼もしくなったものだ。
親の大きな愛情に包まれて情緒豊かに育っていることを嬉しく感じる。


いまは娘が母親になり、少し風邪をひいただけでわたしは心配になるけれど
娘や婿殿には、ずっとずっと健康でつつがなく暮らして欲しいものと願う。


思えばわが子どもたちは、幼稚園や小学校低学年のころから
父親の病気を見ている。
わたしの母は、ずいぶんと胸を痛めたことだろうと思う。


不憫な思いもかけたけれど、わが息子と娘は普通に育ち
普通に所帯をもち、普通の暮らしをしている。
そんな「普通なこと」がわたしには大きなしあわせと思える。


平凡な人生こそ真の人生だ。
虚飾や特異から遠く離れたところにのみ真実があるからだ。
フェーデラー (ドイツ人作家)