「モジリアーニ」に似ている?

雨足がずいぶんひどくなってきた。
午後の来客が辞するのにあわせて直ぐ外出し、知人と会う
約束をしている。
うーん、雨の日に出かけるのは億劫になってきた。
約束を延ばしてもらおうと連絡をするともう
家を出ているようである。


風雨の強い中、こちらも待ち合わせの場所に向かった。
知人Sとの付き合いは彼女がフラワーアレンジメントの教室を
開いて以来だから、かれこれ20年以上になる。
彼女は自宅以外に数箇所、教室を持っていて
向上心と向学心の塊みたいなひとである。
現状に満足しないでいつも作品のイメージを描き、
上を向いて歩んでいる。


そんな彼女は、なさぬ仲の子どもを4人育ててきた。
「叩いたりもして、厳しく躾けてきたから今なら虐待と捉えかねないワ」と笑う。
「でも我ながらよくやったと思うわ〜」と自らの生き方を振り返る。


国籍が違うことで舅姑や小姑にいびられ
夫の事業を献身的に見守ってもきた。
趣味で始めたフラワーアレンジメントが収益を得るまでになり
80歳が来ても90歳が来ても続けたいわ!と生き生きと話す。
それまでの労苦が実り、充実した人生を歩むSの姿を見るのは嬉しい。


Sはボランティア会にも属し、ある施設の長と話す機会があるとのこと。
その施設は虐待を受けた子どもを収容しているところで
最近じかに見聞きしたことで憤りを感じている様子だ。


乳幼児が幼いころに性虐待を受け続けていると、被害を受けることが
当人の中では当たり前のこととなり、その結果当然のように相手に加害行為を
促すようになり、また暴力は他人に同じことを平気で行う、と聞き
大変衝撃を受けていた。


つい最近までY紙でも「性被害」についての特集を掲載していた。
当事者の生々しい手紙や告白を読みながらわたしも胸が詰まった。
被害者の人生をめちゃくちゃにし、被害者からみて絶対的な存在の
加害者である親近者や、教師などに心底怒りがこみ上げた。


が、今日聞いたそれは、もっと残酷な話しである。
こういう類のことは耳を塞ぎたい気持ちになるが
実際そのようなことが「ある」ということの認識を改めて持った。


兄が妹を、父が娘を、祖父が孫を・・・という被害児が施設の
半数を占めているのだという。
さらに衝撃的なことには、2,3歳からそのようなことが
常態化していると、それが普通の行動となり、
当人は平気で下着を脱いだりする話には
胸が痛くなり、それ以上は聞けない。


Sは自身が継母ではあったが、食事など手の込んだものを作り
精一杯心を尽くして子どもを育てあげ、それぞれいま
家族同士、仲良く行き来して暮らしている。


「施設の先生の話を聞いて腹が立って仕方がない!」と憤りを隠せない。
いまや、虐待の報道は聞かない日はないほどある。
日本人はいつからこのような犬畜生にも劣る人間になったのだろうか。


Sとの会話が虐待の話になってしまい、二人とも気が重たくなっていると
フイと彼女が言う。
「あなた、モジリアーニの絵に似ているわね」
「モジリアーニの絵を見るたびにあなたを思い出すのよ」
あの顔の長い、首の長い絵にわたしが似ているかどうか知らないが、
そんな他愛ない会話で話しを締めくくり、気を取り直して喫茶店を出た。



万博公園の蓮