涼をとる


朝から冷たい風が吹き抜け、心地よい天気である。
ゆっくりお茶を飲みながら新聞に目を通す。
隣の赤ん坊の泣き声も嘘のように聞こえなくなった。
おむつの件もあれ以来、対処したのか改善され
悩ましていた芳香剤のきつい匂いもしない。
後に尾を引かない「交渉術」で得た安穏の境地である。


今日は午前中わずかばかりの自習をこなしてから、
ソファに寝転び小説など読みふけっている。
極上の時間である。
寝転びながらふと、思いついた。


あの籐の敷物を何とかしないと・・・。
娘が使っていた部屋はモノ置き代わりにしていたが、
いまは自分のワークルームにしており
長いこと使っていない籐の敷物が2本巻いて立ててある。


目障りだし、他に置き場所もない。
早く粗大ゴミに出したいと思いながら
ついついそのままになっている。


いまどき籐の敷物なんて流行らないし、わが家はリビングも
和室も麻昆の涼しげな柄の敷物を敷いている。
それで満足していたのだが、ふと思いついた!
「そうだあの敷物を使ったらどうだろう!」と。


籐は重たいし敷いたあとの始末や管理が面倒で夫亡き後
ずっと使わずじまいである。
隅に追いやられ粗大ゴミへ行くのを待っている状態だった。
思いつけば吉日!とばかりうたたねと読書を止め、それの作業にかかった。


新聞紙の上から巻いてある敷物をといてみると、
つるりとしたきれいな飴色の敷物が出て来た。
風情があってなかなか、よろしい。
丸めた新聞の日付は2004年になっている。
6年ほど日の目を見なかったことになる。


リビングのソファをどかし、敷いていた麻の敷物をはずし、掃除も
隅々までついでにやり、籐に敷き変えた。
和室も同じようにモノをどけ敷き詰めてみた。


ひと通り終えて、さっそく座ってみるとひんやり冷たい。
寝転んでみると、まさに涼をとる感じで心地よさが身体に広がる。
まったく昔のひとは、どうしてこんなに知恵者なのだろうかと恐れ入る。


エアコンの世話にもならずに済むわが家に、もうひとつの味方が
現れ、嬉しい限りである。
どうして早くこのことに気づかなかったのか、
粗大ゴミに出さないで良かった・・・。


かくして、お金をかけずに日本風に変身した部屋に
寝転び、また小説の続きを読む。
極楽、極楽、・・・何という、しあわせか。


ちなみに、今読んでいるのは宮尾登美子女史の「松風の家」で、
利休の血をつぐ茶道の家元の維新からの再興を綴った物語である。
息もつかせぬ面白さ・・・