仲直り

子どものように、嬉しい自分がいる。
何故なら、長いあいだ少なくとも5年以上
疎遠になっていた知人と、久しぶりにわだかまりを
持たずに話せるようになったからだ。
単純なわたしは、心底うれしい。
その5年ほどのあいだ、わたしも苦痛を感じていた。


同じマンションに住む知人のAとは、かつて編み物教室に
通っていたことがある。
一緒にといっても、Aのほうが数段経験は長く
魔法のように素敵な作品を作り、身に着けている彼女に
声をかけたのがわたしも習うきっかけになったのである。
先生を紹介していただき、週に一度の割で通っていた。


ところが仕事持ちのわたしは、だんだん時間が取れなくなり
教室を辞めざるを得なくなったのが、
Aとギクシャクしだした一因のように思える。


せっかく紹介したのに・・・というところだろうか。
手のひらを返したように冷たい彼女の態度に
いつしかこちらも応戦し、仲たがいしたままであった。
考えてみると、何とも子どもじみた喧嘩のようだが
お互い口を聞かずとも、何ら困ることはない。
たまにエレベーターで会っても2階に住む彼女のほうが
階段を使ったり、目を合わさなかったりしていた。


しかし、時間の経過というのは有り難いもので
いつしか二人の角が少しずつ和らいでいくのを感じていた。
特にわたしが、仕事を辞めたあとチビたちをマンションの
中庭で遊ばせているとき、ばったり会うことが多くなり
目で会釈するようにまで、なっていたのだ。


今朝、外出するとき例のAとエレベーターでばったり会い
お互い、軽く会釈をして玄関に出たのだが
彼女が突然、言った。
「いつぞやは、きついこと言ってごめんねぇ」
「いやぁこちらこそ〜」
あっさりと、わたしたちは空白を埋めた。
それから、わたしは待ち合わせの時間を忘れるほど
彼女と立ち話しに興じ、二人はしっかり元に戻ったのである。


Aがどうして急にこちらに歩み寄ってきたのかには理由がある。
Aが最近、相談相手として親しくしている別な知人Bと
こちらが以前から付き合っていることに、関心があったようである。
Bは、ふだんわたしが妹のように可愛がり接している人である。


人の縁などというものは、面白い。
どこかでぷっつり切れたり、疎遠になったりしても
縁があるならば、またどこかで相まみえるものである。


わたしは、争いごとを好まない。
できれば穏便に物事を済ませたいタイプである。
降って湧いたような災難などにも鷹揚である。
いつか必ず、関係は修復できると信じているところがある。


Aは、わたしより年長である。
本当は年下のわたしから歩み寄るのが理に叶うのかも知れない。
しかし自分のなかによほど相手に対する大きな感情が動かない限り
行動には移せないことも知っている。
けっこう頑固な一面も持っているのだ。


そういう意味ではAがわたしより先手を打ったことで
人間ができているのだと悟った。



少し早いコスモスを置く。