小沢一郎氏の闘いの本質(複眼)
遠方に何かがチラチラしている。
何なんだろうと気になって仕方ない。
確かめようと思ってあわてて本箱の隅に
おいてある双眼鏡を引っ張り出した。
さっそく眺めてみる。
おや、おや、もっと遠くに見える。
それもそのはずだ、双眼鏡の前後を反対にして眺めていた。
当然ながら対象物は、ズーッと遠方にあり、さらに不明となる。
それと気がつき正しく双眼鏡を持って対象物を見た。
世の中の物事を見たり聞いたりするときに、その本質は変わらないものの
見方によって全然異なってくる。
わたしたちは、日々新聞やラジオやテレビでいろいろな情報を
聞かされ、読まされている。
かつて長野のサリン事件では河野さんが犯人だと
ほとんどの日本人は思ったのではないか。
しかし実際は河野さんは被害者であり奥さんは
サリンの毒牙に苦しみ死亡した。
わたしたちはいつも同じ情報源のものを読まされ、聞かされており、
異なった意見を知りたくても情報を得られない立場にある。
以前、堺屋太一氏は日本には3つの鎖国があると言っていたが
そのうちのひとつに「情報の鎖国」を挙げていたと記憶している。
そこでジャーナリストの田中宇氏の異論を紹介したい。
6月4日付け「国是めぐる政争が再燃した日本」と題して
以下のようなことを言っている。
なぜ今、民主党内を割って菅下ろしなのか、
震災復興や原発事故対応で大変なときに、
なんて意味のないことをしているのか、というのがマスコミなどの見方だ。
しかし今回の政争は、09年秋に民主党が政権をとった間もなく後からずっと続いている政争の流れの一環だ。
対米従属を国是としてきた官僚機構の言いなりになっている菅と、
対米従属の一本槍をやめてアジア重視など、
多極化する世界に日本を適合させていく国是の転換が
必要だと考えている小沢らとの対立の構図である。
3月11日の大震災の直前、対米従属派の急先鋒だった前原外相が
外国人からの献金問題で辞任させられ、
菅首相も同種の問題で辞めさせられるところだった。
これらのスキャンダルの追及は、それによって
有利になる小沢派が仕掛けたものだったと考えられるが
、震災の発生によって政争は棚上げされていた。
震災から3カ月がすぎ、米国ではデフォルトの懸念も出てくる中で、
菅おろしが再燃した。
米国は財政難が悪化し、軍事費の削減が議会で検討されている。
議会は財政赤字上限引き上げ問題をこじらせ、
8月に米国債がデフォルト(債務不履行)する可能性が強まっている。
債券格付け機関のムーディーズは6月2日、
たとえテクニカルな(政争の結果であって経済的な意味の薄い)ものであれ、デフォルトしたら米国債の格下げを検討すると発表した。
格下げは、米国債とドルに対する国際信頼を失墜させる。
金融危機の再発が不可避だとの予測も多く出ている。
米国の覇権が崩れ、中国など新興諸国が台頭する流れが続いている。
米覇権の崩壊は加速していきそうだ。
対米従属の国是は時代遅れの傾向を強めている。
日本の官僚機構は、傘下のマスコミがそうした現実を
報じないようにすることで、国民が国是転換の必要性に気づかないようにしているが、政界では、国是を転換しようとする小沢らと、
転換を阻止して現状維持をはかる官僚機構と
その言いなりの菅政権との政争が続いている。
ドル(米連銀)が破綻していく場合、日本が対米従属を維持したままだと、日銀が連銀と無理心中させられ、日本は巨額の損失を負う可能性が強い。
対米従属から転換するかどうかは、震災復興費用の総額よりも
大きな価額を日本が失うかどうかの話だ。
震災復興や原発事故対応より、国是転換がどうなるかの方が重要だ。
戦後60年以上、対米従属の国是を堅持して日本の主導権を
握ってきた官僚機構は、対米従属からの転換によって
権力を政界に奪われそうなので、全力で抵抗している。
当然ながら政争は長引く。
しかしこれは、今後の何十年かの日本のあり方の
基本を決めるための不可避的な政争であり、
震災復興や原発事故対応よりも重要なことだ。
政治家は何をやってるんだと怒る人は、
マスコミに軽信させられており、本質が見えていない。
「菅おろしなんかやめて復興に注力すべき」と言うマスコミや
人々の中には、官僚機構を守る意図がありそうな人もいる。
私はむしろ、どんどん政争をやって早く決着をつけた方が
良いと思っている。
米連銀(ドル)が瓦解するときに日銀(円)を
無理心中させられるのは避けた方が良い。
引用終わり
わたしは、正しい情報を得て正しい判断をしなければいけないと思うが
残念ながら外国語が下手なわたしには不可能だ。
でもそれなりに広く海外の情報を入手しようと努めてもいる。
そこで、下記ウォールストリートの6月3日付け記事をも紹介したいので、
関心あるかたはサイトを読んでいただきたい。
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_245295
四方が天然の要塞である海に囲まれ、諸外国からの侵略もなく
また春夏秋冬のある日本は豊かな産物に恵まれている。
しかしこの狭い国土と気候は日本人に単細胞(隣百姓)のDNAを
植えつけてしまったようにも思える。
したがって常にムラ(それぞれの社会)の調和を保ち異質を
排除するウチ向きな民族にしてしまったのではないだろうか。
上に掲載したふたつの記事は異視点に基づくものであり、
日常この種の記事に接することは少ない。
わたしは小沢氏とは全く関係はない。
ただ自分なりに歳を重ねてきてた今、
政治というのは人間と人間のぶつかり合いであり、
修羅場の世界だと思っている。
政治家は、国家・国民と叫ぶが、まず自分の利を
行動の基本原理とする(韓非子やマキュアベリ)と感じている。
(人は誰でもそうだが、羞恥心が露骨にさせない)。
彼らが自分のことを49%にして51%を国家・国民の為に
行動してくれたらそれを良しとしよう。
また政治は成熟した人間学の実現の場ではないだろうかとも思える。
したがって政治家には多くの議論、苦闘、悲哀、喜びなどの
永い人生の積み重ねと経験がなければ
満足できる結果を創生することは出来ないのではないか。
立派な大学を卒業し多くの知識を得ることも大切であるが、
より多くの人間学を学ぶことが、真の政治家になる要素では
ないだろうかと思う。
様々な見方をわたしたちはしないといけないような気がしている。
万博公園のトケイソウ