お茶漬けさらさら、ブログ

気まぐれに駄文を連ねている。
かれこれ10年近くになる。
年数の割には少しも成長もしていない。


先日、あるところでブログについて訊かれた。
「ブログの内容が変化していると思う」という問いに
確かに中身は変化していると答えた。


公開日記を始めた2002年ごろは
わたしの夫のことが主であり、そのことと対峙する
わたし自身の心情の吐露が大きかった。
夫の病状や苦しむ姿に、胸が張り裂けそうな時期だった。


ぱんぱんに膨らんだ風船に針を刺すと
ぱ〜んとはじけてしまいそうな
そんな感情炸裂のときである。


殴り書きばかりしていた。
そんな殴り書き公開日記でも、書くと気持ちが整理され
ストレスのはけ口になっている自分を感じた。
心理学的にいうところの『カタルシス効果』である。
吐き出しながら自浄作用のある、それがずいぶん
自分自身の役に立ったことを覚えている。


人間のこころの機微・・
喜怒哀楽
生き方、来し方などテーマは、いつも人間が主である。
一貫してそうだった。


ブログの中身が変わっていった遠因に
己の憂いが少なくなったこともある。


仕事の中における達成感とも縁遠い今だが、その代わり
ストレスにさらされることもなく、新しい目標設定は
好きなことの延長でありそのことが
生きる張り合いのようなものを醸成しつつある。


今、一番憂いのない時期にいるのではないだろうか。


そうなると関心事は、政治や施策に向かい、世の矛盾などを
チクチクつつきたくなる。
勢い、辛口のブログになったりする所以である。


もっとほんわかと、気持ちの癒されるモノを書きたいと
思うが、年々きつさが露呈していることを否めない。


書いたあと、自己顕示になっていないか・・・
意図しないところで自慢話しになっていないか・・・
などの悩みは尽きない。
いや悩むどころか、多いような気がする。


そうしたなか、他の方のブログを読むことで学ぶことも多い。


シニア・ナビある方のブログには、うんと年下の恋人の話が出てくる。
自慢の恋人なのだ。
しかしその恋人が、かんしゃく持ちで、料理ができないと
表していると、読んでいるこちらは変な具合に親しみを覚えたりする。


愛猫の話題は皆さん共通することだが、その方の場合
「性格の悪い」猫ちゃんを登場させ、自虐的とも思えるそれが
かえって、愛情の深さを感じさせる。
ニヤッと笑えてくるのである。
なんという比喩のうまい使い方であろうか、と
その表現力に舌を巻く。


これが現実をありのままに
グラマーで若くて美人な・・・となると
辟易して読まなくなる。
「他人の不幸は蜜の味」的な要素があるほうが
面白いのは小説の類でもおなじみである。


このようなウィットに富んだ才は、わたしにはない。
せいぜいがストレートにのろけることぐらいか・・・


文章表現は難しい。
それでもわたしは、さらさらっとお茶漬けをかきこむような・・・
読み始めたと思ったら、もう終わっていた!
あとに「おいしかったぁ」と、さらりと余韻が残る
そんな「お茶漬けさらさらブログ」を目指している。
果たしていつになるやら・・・。



山モモ・万博公園にて
熟してくると甘くておいいしいらしい。