憧れの女(ひと)

あこがれの男ならぬ、素敵な女のひとの話しである。
わたしは、なぜか自分より年長のひとに惹かれる。
特に女性の場合、密かに人生のモデルにすることがある。
そのように生きたいなぁという願望だ。


30代のころ、わたしは作家の森瑶子に憧れていた。
彼女の生き方に心底、傾倒していた。
彼女の著作はすべて貪るように読み
大阪での講演会にも足しげく通った。
新刊本にサインをいただき、柔らかい手で握手をしてもらう。
まるで恋人の指に触れたようにドキドキしたものだ。


森瑶子が鬼籍に入って20年ほどになる。


彼女の作品は『情事』、『誘惑』、『嫉妬』など
目もくらみそうな題名が多い。


男と女の辛らつな恋愛をテーマにしたものが印象に残る。
デビュー作の「情事」にいたっては夫と妻がある者同志の
恋愛を描き、センセーショナルな印象を世に与えた。


流行のファッションに身を包み、過激な内容のエッセイや小説を
次々発表する彼女は時々、著者が主人公そのものではないかと
誤解を生むことが多かった。


研ぎ澄まされた感性と冷徹で鋭利な刃物を連想させる
森瑶子の文体や、彼女自身の生き方に惹かれたのはなぜだろう。
たぶん、際立ったギャップのせいだったのではないかと今、思う。
クールそうに見える外見とは裏腹に繊細で心を病む
彼女に人間の弱さをみたせいかも知れない。


『自分の面倒は自分で見る』
なんという小気味よい言葉だろうか。
女性の精神的、経済的自立を主題にした小説もわたしを捉えた。
結婚して家庭に入っている女性の経済的自立をも、促すこのことは
わたしのキャリア志向を目覚めさせるに充分だった。
どんどん仕事にのめり込んでいった。


森瑶子は封建的なイギリス人の夫を持ち、仕事をしながら家事や料理を
完璧なまでにやりこなしていた。


一方で、彼女は日本の一流と目されるセラピストの
カウンセリングを長いあいだ、受けていた。
表の舞台に隠された真実の森瑶子の心の悲鳴を知ったのは
ずいぶんあとからだった。


成育歴に起因する実母との関係の修復、そのことから
生じる愛娘との軋轢など過去の自分からの脱却を願い、
真剣にセラピーに通っていた。
そのことは小説「叫ぶわたし」にも記されていて
一見、華やかで、たくましく見える森瑶子の、今にも
つぶれそうな内面を知ることになったのである。


当時わたしは、働きながら心理学やカウンセリングを学ぶ徒であり
人間の持つアンビバレンツな側面、生育歴が及ぼす人間形成に
深い関心を抱かずにはおれなかった。


「水清ければ魚住まず」ではないけれど、人間には整った環境要因も
もちろん大事だが、逆境がその人を成長させることも知った。
すべてが心の「飢餓状態」からの発露だったからである。


作家ソサエティで活躍する彼女の生き方は、一面に悲哀があり
俗世間のわたしにも、共感すること多しであった。


わたしは100%元気で、何の憂いもないように見える人より
苦悩をたっぷり抱えたひとに、惹かれる。
しかも年長者のそれはより大きな感化となる。
長いこと、作家・森瑶子の人生は水面下でわたしの師となっていた。



ひまわりはロシアという名