『家貧しくして孝子顕(あら)わる』

なでしこジャパン」のW杯優勝の快挙には、驚きと感激でいっぱいである。
有りえないことが起ってしまった、という感じだ。
負けた国は涙で奪回を誓うだろう。
日本の戦術を研究し、さらに挑んでくるだろう。
次回も勝利の女神が微笑むことを期待したい。
それにしても、ここに至るまで30年を費やしたというのも
感涙ものである。


選手の今回の帰国便は、年長者5名のみがビジネスクラス席であり、
過去には遠征費も自己負担があり、満足なホテルに
宿泊できないことが多かったと聞いている。


それに対して男子サッカー選手の情けないこと。
金髪頭で、優雅なホテルと、上席の航空機で移動をし
高収入に加えてカメラや、飲料水などのCMに頻繁に出演して
莫大な年収を得ている。
なのに、世界大会で3位すらなっていない。
贅沢に馴れチヤホヤされてしまい、闘争心が萎えて
しまったのではないかと思ってしまう。


おまけに「外人より身体の能力が劣るので」などと言う。
これは女子も同じ条件であり、女子のほうが外人よりはるかに
劣っていると思うのは私だけではないはずだ。



パナソニックの創業者、松下幸之助氏に、ある記者が
「翁、教育には何が大切ですか」と質問した。
それに対し「あ〜貧乏でんな」との回答があった、と何かで読んだ。
氏は『家貧しくして孝子顕(あら)わる』と言いたかったに違いない。


甘やかされている世相は、スポーツ界ばかりではない。
日本の今日の学校教育も危機的状況にあるのでは?と憂える。


戦後の日本の大都市や工業都市は、焼け野原で食糧難。
復員兵や引揚者で大混乱。
国家は資産も無く、国民には職もなく
家もなかった時代だ。


しかし敗戦後の昭和20年9月から小学校、中学校などの
すべての学校の授業は従来どおり始まった。
戦後も5年経つごろには、多少世の中が落ち着いたが、
国民は学ぶことより、食料と職を求める日々だったという。


その昭和25年の東京帝国大学法学部の入試問題の高邁さが
際立っているので紹介してみよう。


これは前回のブログ「お生まれはどちら?」で紹介した
松山幸雄氏(元朝日新聞論説主幹)が同じ學士會会報に掲載していて
「法学部系大学教育のむずかしさ」― 日米それぞれの問題点 ―
と、題した文を少し引用する。



有意義だった旧制高校の教養主義。
物持ちのよい大学時代の同級生T君から「ご参考までに」と、
1枚の古ぼけたコピー紙が送られてきた。


1950年(昭和25年)2月、一緒に受験した東京帝国大学法学部の
入試問題である。日米教育文化比較論を手がけている私にとって、
これは「ご参考」以上に有難い資料だった。
出題は次の七問。敗戦後まもなくのことだから、お粗末な用紙、
手書き、ガリ版刷りである。制限時間は恐らく二時間だったと思う。


1. 近世哲学史におけるカントの地位・
2. ユネスコ憲章前文について.
3. 「歴史は繰り返す」という説について.
4. 国富論.
5. 江戸時代の洋学.
6. 内包と外延.
7. 西域.


60年以上経ったいま読み返しても、これは実によくできた
問題だったと感心する。
高校時代にどういう教養を積んできたかが一発でわかるからだ。


採点、集計には、大変エネルギーを必要としたに違いがないが、
そこにはできるだけ質のよい学生を採りたいとする大学側の
意気込みがはっきりうかがわれる。
実際この問題をアメリカ人の教授に英訳して見せたら
『短時間のうちに、幅広い基礎的な知識と、論理的な思考力と、
簡潔な表現力とを試す、という意味で素晴らしいテストだと思う』と
感嘆していいた。


−中略―


10代の後半に、やや背伸びしながら文学や歴史や
哲学関係の本を読み、思索し、友人と議論する生活はその後、
法学部、経済学部、文学部......どういうコースを辿るにせよ、
いや理科系の職業に就く場合にも、たいへん有意義だったと思っている。




ということで・・・
旧制高校卒業生といえば20歳であり、今の大学2年終了時に当たる。
学問に精を出すべき今日の学生にはどのように映るだろうか。


進駐軍によって日本の文化や、伝統の破壊や強制放棄があり、
軍国主義を育てたとして明治以来の教育法は、破棄させられた。
このため国の根幹となる教育体制が、損なわれたといっても過言ではない。


戦後の教育は、米国式安直な実学追及型であって
労働者を育成したにすぎない。
決して人間形成ではないのだ。
今では大学二年目から就職活動に入るようなことになって、
本来の専門課程では学ぶ時間が少ない。


昭和25年はわたしの生まれる前年である。
嵐のような食糧難がやっと収まりかけていた頃であり、
その年の12月の国会では大蔵大臣池田勇人氏が
「貧乏人は麦を食え」と、発言した世相だった。


こうした時代にも関わらず、学問の府は優秀な人材を求め、
試験問題を出していたことに感銘せざるをえない。


がれきと廃墟、空腹と貧困に打ちひしがれた戦後の日本を
築いてきたのは、旧教育法の学校制度下で教育を受けた人々である。
このことを、忘れてはならないと思う。