人には、渡らないといけない河がある?
10月に開催したパソコン絵画の作品展には
不義理を重ねていたわたしに、予想外の方との邂逅があった。
大げさに言えば「非日常」の時間か・・・。
3年ほど前に拙ブログ「知 (痴)人の愛」に登場したK子も
そのひとりである。
http://mursakisikibu.hatenablog.com/entry/20110709/1310162848
彼女とは、電車で20分ほどの距離に住まいしていても
めったに会わなくなっている。
退職してのち、あらゆる人間関係の縮小を図り
修行僧のような数年を過ごして来たわたしは
知人・友人との再会は譬えようもないほど嬉しかった。
久しぶりに会うK子は、一段と魅力的になっていた。
相変わらずエキゾチックというか、神秘的な雰囲気を漂わせている。
美人ではないが、オバサンでは決してない。
華奢で妖艶な彼女はまだ恋愛のひとつやふたつできそうなほど
オンナを感じさせる。
わたしのまわりの同世代の女性にこのタイプは少ない。
感じる要因のひとつか。
恐らく幼少のころからか、長女であることもあり「両親の不仲」を
一身に受けて育った。
特に母親からは「家宅の人」の父親に対する面罵の数々を
負のメッセージを受けて、大人になった。
抑圧された親子関係からの逃避のように、見合い結婚した夫とは
ソリが合わず二人の子どもが思春期に差しかかるころ
離婚を決意し、家をでたのがこの10年ほど前のことだ。
新しい人生を歩むべく伴侶探しをしても
一歩を踏み出しても、うまくいかない。
大変な時期を過ごしたことをわたしも知っている。
たまに電話をかけると地獄の底から応えているかのような
暗い、くぐもった声が返って来た。
本人にしたら人格を左右する重大なことが多い。
そのことが周囲に理解されず、またまた悩みに拍車がかかる。
過去ログで触れているので、割愛するが
人間の一生なんてわからないものである。
大きな「自由」を得ている。
60歳半ばにして初めて得た安寧の境地のようでもある。
別な人間性を見たようで、心から安堵した。
そしてエールを送りたい。
長い、長い河を渡ったK子をまぶしく感じた。