ドキドキした。
どんな人だろう、初対面って緊張するものだ。
殿方との逢瀬より(めったにないが・・・)なぜか、ワクワクする。
日曜日の混雑する大阪駅で、お顔も知らない相手を瞬時に
認識できる眼力?の高さにお互い手を取り合って喜んだものだ。
願っていると叶うものである。
彼女は北陸在住のDさん。
長年の職業婦人(古い言い方!)を、引退してから趣味の絵画や洋裁や
ボランティアに携わるなど、充実した生き方をされていて
模範としたい魅力的な女性だ。
かつての職業柄か、話し方と声が実に美しい。
彼女は早朝に関西入りして、午前中に所用を済ませ、帰路の途中に
大阪で下車してくれたのである。
家族連れや若いカップル、シニア世代で賑わっており
飲食店など、長蛇の列である。
デパ地下でお弁当を求め、環状線で5分ほどの大阪城公園まで行くことにし
そちらで、まずは胃袋を満たすことにした。
まるで赤毛のアンの空想好きな少女のように。
春の行楽にふさわしいお弁当も何を食したか、覚えてないほどだ。
大阪城やツインビルを背景に、悠々と流れる大川と、時おり往復する
「水上バス」を眺めながらの遅い昼食は、会話とともに格別おいしく感じた。
それでもお構いなしに、ふたりはベンチに腰掛け、熱いお茶をすすりながら
お互いの近況や思いに耳を傾ける。
まるで、映画「フォレストガンプの一期一会」のバスを待つあいだの場面、
ベンチでの会話のようではないか。
傍では、同じように小雨をものともせず、遊びに興じている若いグループが
幾つか、あった。
熱中すると肌寒さも小雨も眼中にないものなのだ。
喫茶店へと場所を移した。
せっかく大阪で下車してくれるのだから、どこかへ案内をと思っていたけれど
彼女は観光より、おしゃべりがしたいという。
生きていると後悔や失敗もたくさん経験する。
それらの一つひとつを糧にして、現状に感謝できることは人間せいゆえか。
生で会い、その続きを知るかの如くの会話は、清水がからだに沁み込むような
清涼さと安心と信頼を得るに充分だ。
ありがとうと言えるようになったのよ・・・と子どものように
顔を輝かせ、語る彼女に嬉しくなり、拍手を送った。
年齢を重ねると悔いを残さないためにも、夫婦のしっとりとした
意思の疎通は何物にも代えがたい。
一瞬、夫のいないわたしは、羨ましいなぁと感じた。
「本当に普通では出会えないわよねぇ」
まったく同感だ。
「文章のなかのあなたから怖い感じを抱いていたけれど
とっても気さくで安心したわ~」
彼女からお褒めの?言葉をいただいた。
ネットならではの、出会いに感謝である。
お互い本音でモノを言い過ぎ、損することも多々あったわねぇ、と
似たような性格に二人で苦笑することしきりだ。
生きてきた時間も土地も職業も全然違うシニア世代のわたしたち。
この年齢だからこそ、見えることも、言えることもある。
ありがとう、Dさん!!!