miyotyaさんの昨日の記事は、落花生について触れていた。
根っこのついた珍しい落花生の収穫に、生前の母のことが、だぶり
胸がきゅ~んと鳴った。
落花生というと、子どものころの運動会を思い出す。
そして母の節くれだった、ゴツゴツした手がセットになって浮かぶのだ。
華奢な身体に似合わず、手だけは、たくましくい労働者のような指は、
そのまま母の人生の象徴のように思えた。
幼な心にも、今だから言えるけれど、父に「女の人」がいて
そのせいもあって我が家は耐乏生活を強いられており
精神的にも母が苦しんでいるのを姉も兄も皆、感じ取っていた。
長い間父を赦すことができないでいた。
そんななかでも、運動会の思い出は楽しさいっぱいだ。
夏が終わり、すきっとした青空がいっぱいに広がる初秋のころの運動会には
なぜか花火がド~ンと打ち上げられていた。
開催を知らせていたのだろう。
今のように娯楽の多い時代ではなく、祭りと同じぐらいのワクワク感があった。
じいちゃんもばぁちゃんも隣のおじさんも、勢ぞろいで
小さな酒宴の場になったりするのである。
銘々の家族が、重箱にたくさんのご馳走を詰めて、やってくる。
地域ごとに区切られた場所にゴザを敷き、家族が陣取る。
暑い日差しをのなかを一日中日傘も差さず、わが子らの
日ごろの成果を見守る、団欒の日でもある。
待ち遠しい昼食には朝から母が手作りした、のり巻きやイナリ寿司、煮物
(煮しめと呼んでいたっけ)などが、並んでいる。
サトイモやレンコンやこんにゃく、ゴボウ、鶏肉を甘辛く煮込んだ煮しめは
決して見栄えがいいとは言えないが、寿司などと相まって青空の下で
食すと最高の、馳走に感じたものだ。
いや、いまでも馳走と言える。
デザートには、まだ青いみかんや、栗を蒸したものや、
採れたて落花生が重箱いっぱいに詰まれていた。
汲々とした生活のなかで食卓だけはいつも豊かだったように思う。
母の精一杯の矜持だったのだろう。
miyotyaさんの記事にあるように、泥のついた落花生をちぎり
乾かし、殻を取り、中の豆だけを炒る。
サーモンピンクの殻がちょっと焦げて、指を滑らせるとツルリと剥ける。
中から黄色の出来立て落花生が顔を現す。
香ばしい匂いとともに、口のなかでコリコリと砕ける新鮮な
落花生の味は、年を経た今も忘れられない。
父や母や他の兄弟たちと一緒に食す、運動会の味は格別に思え、
毎日運動会だったらいいのにと思ったほどだ。
いまの時期の落花生や、青いみかんの匂いは、秋空と母とを思い出す。
父親の影は薄い・・・(^_^.)。
香ばしい落花生を、そういえば久しく口にしていない。
ほとんどが中国産だとの想いが強く、なかなか買う気も起きない。
落花生と言えば、やっぱり母!なのだ。
最期はニコニコと感謝して旅たったことが、残された者にとって救いである。