幼児虐待に思う

毎日のように報じられる幼児虐待に胸を痛めている。


直近では5歳児が奈良県で餓死したり、門真市では2歳児が同居する少年に
暴行され、死亡している。


こんな可愛い盛りの子どもにどうして手をかけたりするのかと
同じ年頃の孫を持つわたしは、いっそう胸が痛む。


一番信頼できる親や近親者からの暴力に
どんな思いで耐えたのだろうかと思うと涙が止まらなくなる。
動物の世界でも親はしっかり子を守る。
人間世界はここまで堕ちたかと身がすくむ。


相次ぐ虐待死の防止策に取り組む「エンパワーメント・センター」の代表の
言葉が3月末のY紙に取り上げられていた。


少し拾ってみると・・・


虐待の事件が報道される度に「なぜ、親がわが子にそのようなことができるのか」といわれる。
どの親も「子どもが憎くて殺したい」と思っていたわけではない。

知っておいて欲しいのは「虐待は孤立の中でエスカレートする」ということだ。


最初は軽く叩くだけだった虐待が、孤立した状況の中で一気にエスカレートし
親が思いもしないような深刻な事態になる。


虐待は一つの要因で起こるのではない、としている。


虐待に至る親のストレスの要因を
①夫など同居家族との関係
②親が育った家庭での家族関係
③経済的状況
④子ども自身の育てにくさ


と、分類しているがほとんどのケースで複数の要因が重なっている。
それだけに単一の防止策で解決できるものではない、としている。


児童虐待防止法が施行されて10年。専門家が虐待で死亡した子どもの事例を検証し
乳幼児のいる家庭への訪問事業が創設されるなど、虐待防止策は進んでいる。


にも関わらず虐待死が起こるのは、制度の中身が伴わないからだという。


虐待を発見しても子どもを一時保護するか、見守るしか方法はないのだという。


国が本腰入れて虐待防止に予算を投じたり、親権の一部停止などの代わりに
親に虐待をやめるプログラムを受けるよう裁判所が命じるなど
司法が関与する仕組みづくりも必要だ、と結んでいる。



列記した4つの要因のなかでわたしは、
②親が育った家庭での家族関係 と
③経済的状況 が大きいような気がしている。


親自身が親から幼いころに受けた虐待を子どもにしてしまう虐待の連鎖であるとか
いまの経済状況のなかで罪を犯した大半が無職となっているなど
虐待をしている家庭の貧困も見逃せない。


心理的、経済的、環境要因など、自分ひとりでは解決し得ないことを、こころに鬱積させたときに起こる。ひとりで悩まないで、自らの親や近親者や遠慮の要らない友人に話すことも大事かと思える。

気持ちが閉塞状態になってくると、矛先が自分より弱い子どもに向けられる。


《どの親も「子どもが憎くて殺したい」と思っていたわけではない。》


このことが救いではあるが、どうか親自身の風穴をあけて、状況を打破し
子どもの成長を願う親になってほしいと願うばかりである。

画像はそら豆の花です