ガンの告知

いまやガンは、2人にひとりは罹る病であり
「ガンイコール死」という概念が薄れつつある。
早期発見、早期治療により治癒率が上昇し、生存期間も長くなった。


かつてのように怖い病ではなくなった、と言われ
治療中の「生活の質」を高めることも重要視されてきている。
それでも年間、数十万人が命を落としていることを考えると
やっぱり怖い思いが先に立つ。


わたしの周りにもガンに罹患している人は多い。
特に60歳を過ぎたあたりから発症しているのを見ると
ガン年齢というものが、誰にでも当てはまるような気がして
日頃の食生活や運動不足の解消など真剣にならざるを得ない。
他人事では、ない。


先日、還暦を迎えたばかりの知人から「ガンの告知」を聞いた。
今年の9月頃に自分で胸のしこりに気が付き「乳がん」であることがわかった。
即入院、手術となり、いま通院中だということだ。


病院での待ち時間に携帯メールを書いたものらしく
電報のような短い文章が、途切れ途切れに綴られていた。
「今から会えないか」と言ってきた。


わたしは、ちょうどパソコンの復元と格闘中であり
手が離せないときだったが、それでも気になるので、
帰宅した彼女に電話をしてみた。


さすがに日頃のはつらつとした言動は消え、すっかり気落ちしている。
「まさか、わたしがガンになるなんて・・・」と
かなりのショックを受けているようだった。
あれこれ症状などを話ししたあと、わたしにどう思うかと訊く。


ガンに罹ったとき、どう受け止めるか・・・
彼女の心痛を察すると言葉が、ない。
気安めや慰めなど、何の役にも立たないだろう。
どのように向き合ったらいいのか、わたしにもわからない。


これまでガンに罹った知人、友人たちからはいろいろ聞いているが
動揺より、むしろ粛々と受け入れているように感じている。
「今まで健康でいられたことがありがたい」
「充分、生きたから悔いはない」などと
65歳や70歳に近い知人たちは口を揃える。


その言葉から、決してあきらめてはいないことが、わかる。
「病気や死に対する執着心を取ろう」としていることが感じられる。
ガンに捕らわれて落ち込むより、しっかり受け入れて
向き合うことが免疫力を高める・・・と心得ているようで
悲壮な感じは、伝わって来ない。
かなり訓練された心の持ち主のように思える。


自分が、同じ立場に立ったらどうするだろうか・・・。
やはり似たように、しっかり受け止めることができるだろうか。
取り乱すのだろうか・・・。


そんなことを考えながら、知人たちの例を乳がんの彼女に話した。


話の途中で、娘たちがやって来たので電話を切った。
孫たちが帰ったあと、途中で電話を切ったことを
メールで詫びると・・無言である。


果たしてその後、彼女からのメールには
「あなたの話を聞いて恐ろしくなった」
「90%の人が死に結びつけている」
怒りと悲しみに似た感情が綴られていた。


肝心の伝えたいことは、話し切っていなし
こちらの話し方で、彼女を落ち込ませてしまったようである。
すぐに連絡を取りもう一度話したい気持ちがあるけれど
しばらく、様子を見ることにした。


彼女の心にしっかり添っていない自分を後悔している。
言葉を選ぶことの難しさを痛感している。