人間、この未知なるもの

正月の2日に開催された「還暦同窓会」なるものに出席した。
正直言って「ひとの顔」が、ここまで変わるのか、という思いを強くした。
同じように他から見れば、こちらも「痩せたねぇ」と
言われっぱなしだったから、やつれたように見えただろう。
良くも悪くも女性の変わりように驚いた。


アレキシス・カレル(1873〜1994年フランスの外科医・ノーベル生理学賞受賞)は
著書「人間、この未知なるもの」のなかで、人間の顔というものを恐ろしいほど
深く突いていて、生き方、思想が筋肉と相まって、顔に現われると言っている。
下卑た生き方をしているとそのような品性が顔に現われ、
穏やかに、わが身を成長させることをよすがとしてきた者は、
それにふさわしい顔つきになるというのだ。
生き方が顔を創ると言っている。


そういう意味での還暦を迎えた面々の「お顔」は非常に興味深い。


学年全体で催されたその同窓会は、卒業時の約2割強が出席していた。
クラスごとの同窓会に10年ほど前に出席して以来のわたしは
学年のそれには人数が多く、圧倒された。
けれど進学や就職、結婚などで郷里を離れていたひとと
幅広く会える機会が持てて、意義があったともいえる。


わがクラスは男女合わせて13人ほどが出席していた。
当たり前だけどみな、初老を通り越して立派なオジサン、オバサンである。
それでも声や、話しかたに面影が残っており、
長い年月会っていなくてもすぐにわかる。


恩師(数学の女教師)は、大学を卒業してすぐの担任だったから
若くて、どちらが先生か生徒かわからないぐらいである。
当時のきりっとしたタイトスカートと手編みのカーディガンを
素敵に着こなしていたことを、思い出す。
いまでもおしゃれである。


他の学年主任の男性教師も来賓挨拶などを聞いていると
やっぱり声のトーンで「ああ〜あの先生だぁ」とすぐに胸に響いた。
懐かしさを感じる!
こちらも15歳の生徒に、心は戻っている。


栄枯盛衰を感じさせる変貌ぶりに、それぞれの「45年」を思った。


かつてバスケット選手で、あこがれの君だったN君は
大きな体躯は変わらず、背の高さも誇っていた彼は
背中を丸めドラム缶のようにずんぐり太り、しまりのない体をしていた。
親の代から幾つもビルを持つ事業主だったようだが
時代の流れで憂き目に遭ったと、眉間にシワを寄せ
60歳に似合わない老境を感じさせていた。
昔はかっこ良かったのになぁ、変われば変わるものである。


バトンで男子のあこがれだったKちゃんは、背がスラリとして魅力的な顔立ちで
そのころから郡を抜いておしゃれであり、女子生徒からも羨まれていた。
しかし、その面影はなく、顔に幾重もの深いしわを刻んでいる。
心なしか腰も曲がり、歩き方も頼りない。
病気上がりなのだろうか・・、ずいぶん老けて見える。
かつてのはつらつとしたイメージはどこにもない。
小さいときから家は裕福でお嬢さま然としていたのに、
結婚してから大きく変わったものらしい。
艱難辛苦をどのように受け止めて来たのか知る由もないが
短い会話の中から、かつての可愛い彼女の表情を見出せたときは
救われたような気がした。


クラスは違うけれど、一緒に受験勉強にいそしんだJちゃんの
「鬼のような形相」の表情、こちらも驚いた!
ひとつの椅子に座りあい、訊くと、先月夫を病で亡くしたという。


秋篠宮の紀子さん似の涼やかな目元は変わらないが
口元が鬼の口みたいに歯が長く伸び、不ぞろいになっていた。
よけいに険しい表情に感じられた。
かつて美人の誉れ高い彼女は、意外な顔になっており、哀しくなった。
「寂しくなったわね」とわたし。
「ぜんぜん!」
「え?・・・」


久しぶりに会ったわたしにJちゃんは臆面もなく、話してくれる。
開けっぴろげで屈託のない土地柄のせいもある。


「愛人発覚よ!!」淡々と彼女が言う。
夫にガンの告知をする際に看護士さんから「お嬢さんも一緒に」
と言われ、彼女たち夫婦には女の子はいないことから
夫の浮気が発覚したのだという。
しかも長年にわたっていたというのに
夫は、シラを切り通し旅立っていった。


ドラマのあらすじを聴くようだった。

悲しみと怒りと悔しさが、ないまぜになり感情の捌け口がないまま、
夫が逝き、お正月を迎えたと思われる。
上品で楚々とした彼女はどこかへ消えていた。
「まず、歯を治すわね・・」
寂しく笑ったJちゃんの笑顔に少しほっとした。


わずかな時間に、同窓生の悲喜・悲哀を知った。
もちろん、この逆パターンもある。
あまり目立たなかった男子が、功なりして
落ち着いた渋い表情に変わっていて
ああ、いい生き方をしてきたのだろうなと感じさせた。


15歳から60歳までは、色々あって当然だろう。
大なり小なり諸々をみなが抱えて現在に至っていると推測できる。


問題はその受け止め方にある。
バネにして、糧として生きて来たひとには、同じように深いしわが
刻まれても、深みのある叙情的な表情になるように思えた。


「思想、生き方がそのまま顔に現われる」
A・カレルの言葉を反芻し、老齢に向かうこれからが
「いい顔を創る」本番ではないかと感じた同窓会だった。