ブログ友の吾食楽さんが、料理ブログのなかで「秋刀魚」を食したことを記されていた。
もう秋刀魚の季節なのである。
わたしも、先日の昼餉にわが家で焼いて食べたところである。
スダチは、なかったけれどかろうじて大根おろしを添えて。
飄々とした語り口が味のある笠智衆が、小津作品を賑わしていた。
「秋刀魚の味」は監督の遺作になるらしい。
笠智衆も、小津もこの世を去ってさびしい限りだ。
鬼籍にいる人間で、秋刀魚に関して、一家言持っていたのは、
他ならぬ、わが夫である。
夫は魚と称するものは何でも好きだった。
病を得ても、自分が食べることを制限されても、食に対する渇望は
いじらしいほどだった。
魚を食べさせると、そのひとの「育ち」がわかる、と聞いたことがあるけれど
その倣いに言えば、わたしは魚の食べ方がヘタ!
氏育ちがよろしくない^^
おまけに左利きときているから、食す場面では小さくなっている。
夫が魚を食べると、「きれいに食べてくれてありがとう」と魚から
礼を言われるのではないかと思うほど、頭と骨だけが残っており
見事な食べっぷりだった。
特に秋刀魚にはご執心で、腸が大好きだ。
あの苦味が何とも言えないらしく、わたしたち家族にしてみれば
あんなグロテスクなところは、食べたくない。
いつも残す・・・。
「秋刀魚のはらわたが、うまいンやぁ~食え!」などと
まだ小学生や中学生の娘や息子に無理強いをする。
こどもたちは、食卓で泣き、秋刀魚をめぐって、しばし修羅になることがあった。
たまたま、実家の父母が親戚の結婚式か何かでわが家に来ており
その光景をみて、父が、孫たちをかばっていた。
「いくら何でも小さい子には、それは無理だ、可愛そうだ」と。
その後はらわたを無理強いされることは、無くなったが、食べ方には大層厳しい。
妻には躾けられなくとも、わが子なら、まだ間に合うと思ったのか
文字どおり、箸の上げ下ろしにまで監視の目を光らせていた。
光らせるのもけっこうエネルギーが要ると思うのだが病身でよくやったと思う。
そのエネルギーの甲斐あって、娘は食べ方がとてもきれいだ。
特に魚は秋刀魚に限らず、猫もまたいで通ると言えるほどにすっきりしている。
友人などにもそのことだけは褒められるらしい。
何事によらずいい加減なわたしと、愚息は相変わらず、
魚の食べ方は進歩していない。
大きな声では言えないが、汚いのである。
今、3人のママになった娘は、子どもたちに、魚の食べ方は
もちろん、テーブルマナーも厳しく仕込んでいる。
「お父さん、厳しかったよなぁ~あの秋刀魚の腸には参ったわ~」と言いつつ
父親から教わった食魂のようなものに、少しだけ感謝しているようである。
母親のわたしは、いつでもグータラしていた^^
今でもあの世とやらで、ハラハラしながら見ているいるに違いない。