疑問に思う


新聞などの相談欄を読むのが好きである。
Y紙に登場する海原純子氏の回答は、特に待ち遠しく感じるほどだ。
心療内科医として心の問題を主にあつかう彼女の助言は、
いつも的を射て的確で相談者の意に深く沿っており
洞察や方向性などが、わかりやすい。


同じように名を連ねているひとに、もとマラソン選手の増田某がいる。
彼女は40代であり、いま結婚して子どもを持つ主婦でもある。
その彼女に寄せられる相談は、似たような世代の女性からのものを
取り上げられていて、無難に回答をしている。過日には、
「隣のひとが早く起きて、草引きなどしてうるさい、どうしたらいいか」
というものだった。
それに対して彼女は、早寝早起き朝ごはん、
早起きは三文の得(徳が正しいのでは?)と、リズミカルに回答を寄せていた。
格別、胸に響くようなものでもなく、あっけらかんとして
深みがないように感じられる。


それでいいのかも知れないが、もっと人生を歩んできた人のほうが
相手の心に深く食い込み、共感できるのではないかと思ったりする。
要するに、わたしは物足りなく感じてしまうのだ。
相談者はそれで胸のつかえがおりたのだろうか?と
よけいな心配をしてしまう。


今日の相談は、まさに彼女の履歴にうってつけのスポーツに関する相談で、
彼女も水を得た魚のように生き生きと答えている。
そんなとき読者側のわたしも、安心できる。


時々ミスマッチのような、ずれている回答に、
居心地の悪さを感じたりするのはわたしだけだろうか。


「適材適所」と言う言葉があるけれど、
それにふさわしいか疑問に思うことがあるのだ。
自分が生きてきた中にそれぞれ得意分野があり、
それらを生かせる範疇ならいいが、
そうでないジャンルの相談だったりするとどうかな?と思ってしまう。


テレビのコメンターにも同じようなことが言えはしないだろうか。
例えば、長島某はご存知のように野球をしてきた人である。
その彼が、政治や経済を訳知りで、トウトウと
しゃべっているのを聞くと落ち着かない。


得意分野のそれならば、安心して聞けるがそうでないことは、
やはり専門にそれに携わったひとか、経歴のあるひとの方が説得性を感じる。
どうして、自分の得意分野以外の仕事が廻ってきたとき
「その任にないから」と謙虚に下がらないのだろうか。


バレー選手の女性も、某下着メーカーのトップになり、すぐに解任された経歴がある。
なのに、やはり同じように自分の専門外のことで堂々と弁を振るう。
おかしくないかなあ?
知人同士だけの気楽なおしゃべりではないのだ。
電波を使って公衆に流すとなると、その影響力から
ちょっと??と首を傾げざるを得ない。


今は何でもありの世である。
カタイことばかり言っても通らないのかもしれない。


しかし、わたしはやっぱり思う。
自らの言に責任をもち、きちんとした勉強をしてから
その任を引き受けるべきだと・・・・。
にわかコメンターが、厚顔で話しているとそれだけで
その番組のレベルを感じしまう。
わたしは古い人間なのだろうか、こちらが自信を失う。