模索


わたしには、30年近く温めてきた「やりたいこと」がある。
資格も若いころに取り、定年を迎えたらそのことを軸に生きたいと
願ってきた。
ささやかな夢ではあるが、現実的には相当の覚悟とエネルギーが
いることを認識している。


けっこう「しんどい世界」である。
どうしてそのようなことに関心を持ったのかは
今までのわたし生き方に由来する。
時間と経済的な余裕も要る。
時間の余裕はできても、いまのわたしには分不相応であり
もう少し待ったほうがいいかなと言う思いもある。


それの実現に向けてさらに自分自身のステップアップを図るため、
もう一度学びなおそうと、多少の準備らしきこともしてきた。
ところが、なかなか思うに任せないこともあり、
そのことの実現はまだ時間がかかりそうである。


己が関心を示し、目指す意思があるならば、焦ることはないと
言い聞かせてはいるが、我ながら歯がゆい感じがしている。


かつて一緒に学んだ同期生は、仕事をしながら
そのことに情熱もかけ、人知れず活躍をしている人が多い。
活躍というより、自分自身の成長をも含めたそのことに
スティタスや、やりがいを感じているのだろう。


わたしは、それほどのエネルギーも体力も持ち合わせておらず
ひとつのことをやり遂げるのが精一杯で汲々としてきた。
長年、自己研鑽だけは続けているが、今後どのような方向で
そのことを実践していくか、思案しているところである。


一方では、あらたに面白い分野の「やりたいこと」がみつかり
気持ちが傾いている自分もいる。
思えばこちらの方が自然で、多少の下地があることから
ライフワークにするには、ふさわしいような気もしている。
先日の上京もそのことに関連しており、敬愛する師に
背中を押され、元気りんりんで帰阪したところである。


いつものことながら、ふたつのことを同時にやり通せる
エネルギーはわたしには、ない。
いずれ、どちらかに絞り込まざるを得ない。
さてどうしたものか・・・。


どうもわたしは、若いころから平坦な道よりも
イバラの道を選ぶ傾向にあることも否めない。


隔靴掻痒(かっかそうよう)
読んでくださっている方には、抽象的でわかりにくくて
自分本位な記述であることをお詫びしたい。
あけっぴろげでオープンで、無防備なわたしも
最近は少しだけベールをかぶせることを、良しとしている。
どうか、しようもない独り言だと堪忍していただきたい。