「書く」と言うこと

シニア・ナビに登録するときに立ち上げたブログは、約半年たつ。
毎日のように書いたのは初めてである。
それ以前は、自分のホームページのなかでエッセイもどきにしてつづり
また旧シニア・ナビでは日記として気まぐれに書いていた。


2003年ごろから、思いを綴ることを習慣にして、7年以上がたつ。
7年といえば夫がこの世を去る少し前である。
その間、書くことがずいぶん自身の癒しになり、
自らを客観視することに役だった。
書くことで救われた・・・と言ったほうがいいだろうか。


泣いたり、笑ったり、感動したり・・・
中身のスタイルは「しあわせさがし」の原点のような
「良かったさがし」である。


夫の闘病のころから、逝ったころのことなど、まだ記憶に新しい。
家族や仕事や知人、友人のなかでの様々なできことの中から
「闇から光を探す」がごとく、マイナスに思えることでもあえて、
プラスに転じる思考をしてきた。
苦しみが多ければ多いほど、そのようにして
自らを奮い立たせていたようにも思う。


そのころの環境からするといまはずいぶん様変わりしている。
何が違うといって、いまの生活に憂いがなくなったことが一番大きい。
瑣末なことを挙げればそれなりにあるけれど
しあわせ感を味わって生きている、と言える。


環境の変化のせいなのか、自分のなかに「慈悲」の
ような、こころが薄れてきたように思い
文章もどんどん辛口になってきたことを感じていた。


垢もこびりつき、かつての純真な気持ちが失われているような
危機を感じるようにもなった。
年齢を経て、わがままになってきたのかも知れない。


若いときは深くものごとを考えなくて
思ったことをズバズバといい、それほど頓着しなかった。
最近はすこし違う。


多少自分なりに掘り下げ、感じたことを綴っていたけれど
「だれかを傷つけていないだろうか」という怖さを感じる。
賛否両論、表裏一体・・・
ものごとには常に二面性がある。
自分の主義主張がある。
八方美人にはなれない。


かつて書くことは自分にとって愉しい作業であり、癒しでもあった。
けれど最近は、その畏れもあり、書くことが
少し負担になってきたことも否めない。
初めて味わう感覚である。


少し原点に戻って諸々、考えてみたい。
考えてみたところで、所詮なにも変わらないと思うけれど
やっぱり自分のなかに風穴をあけたい思いが強い。


そんなことを思い巡らしているときに
ふと、中断しようと思ったのだ。
中断といっても時々気の向くままに
思いを馳せる程度でいい。


大義名分として「学ぶこと」を上段に掲げたけれど
そんなに大層なことでもない。
確かにやりたいことは諸々あり、時間が足りないこともある。
でも一番には、自らのこころの問題かなと思ったりしている。


こうしてブログの掲載を中止してみると・・・
思いもかけず、というか・・・
予想外に惜しんでくださる方が多くて感無量である。


わずか半年ほどのあいだにこんなにも心を通わせるひとが
できていたなんて・・・
うれしさひとしおであり、過分な贈り物といえる。
ありがとう。


書くことが以前にも増して愉しく感じるようになれば
また、どんどん書くかも知れない。
いまは、しばらく自らのこころと対峙してみたい。