編む.
向田邦子のエッセイに「夜中の薔薇」というのがある。
彼女は長いあいだ、シューベルトの♪童は見たり野中の薔薇♪〜という
歌詞を♪夜中の薔薇〜と思い込んでいて
そのことからタイトルに使ったのだという。
そのエッセイのなかに「編む」という短編がある。
10代のころに、よく弟妹たちにセーターや手袋を編んでやっていた。
「あしたの朝までに手袋を編んであげる」
姉さん気取りで約束をする。
「指は何本」
妹が心配そうにたずねる。
「5本に決まってるじゃないか」
「うわ。5本指!お姉ちゃんありがと」
妹は嬉しそうに布団に入る。
ところが編んでいるうちに、こちらも眠くなる。
結局、指は親指1本であとの4本はまとめてひとつのかたちにしてしまい
妹をがっかりさせる』
・・・という話しである。
いま編むことに縁のない生活をしているわたしも、
10代、20代のころは編み物が好きだった。
そして同じように途中で気が変わり、「普通の手袋」がミトンになり
セーターを完成させるつもりが、ベストになったことは
一度や二度ではなかったような気がする。
昭和50年代専業主婦だったころ、
機械編みが流行っていたこともあり、
ザーザーと音のする編み機を,せっせと動かしていたことがある。
棒針編みも好きで、太目のアルパカの糸を使い、ざっくりした
プルオーバーなどを同居の義父に編み、プレゼントし喜ばれたこともある。
いま思えば子どもが小さいころに、あんな危ないものを持ち出して
よくそんなことをしていたなぁと怖い気もする。
わが娘もミシンを使って、潤平の幼稚園で使う袋物などに凝ったり
かえでとお揃いのパンツを可愛らしく縫い上げたりしている。
「終わったら必ず電源を抜いてる?子どもの手に触れないよう気をつけて!」
などと心配になり声をかける。
子育てに夢中になっていても、また作る楽しみは別である。
娘が小学生のころに習っていたピアノの発表会のドレスも手作りした。
深紅のビロードのリボンを配した真っ赤なアンゴラのセーターに
サテン生地のスカートを組みあわせたモノだったと記憶している。
さほどお金もかけず愛情と手間だけはたっぷり使ったそれは
長いあいだ娘のお気に入りで時々、今でも会話のなかに出てくる。
「無から有を作る」
なにもないところから、ひとつの形になるものを創作することは
子どものころから好きだった。
陽のあたる縁側で編み棒を動かす「老後の自分」というのを
イメージしたこともある。
あれもこれもできないけれど、やっぱり何かを作る!と
いうことはわたしの気をそそる。
押入れには編みかけのセーターや、きれいな色の毛糸がまだ埋まったままだ。
いつになったら陽の目をみるのか、わからないけれど捨てがたい。