隣の芝生

たまに知人宅を訪れ、よもやま話に花を咲かせる。
そして他人の家のインテリアを覗くのが大好きである。
特に似たような間取りのわがマンションの住人だとよけいに興味を惹く。
様々な住まい方が、当人の生き方を反映しているようで、おもしろい。


わが家は南のベランダに面したほうに和室とリビングが続く3LDKである。
壁で仕切られてない分、広々としていて玄関から入ったときの解放感がある。
廊下側に面した2部屋は、子どもたちが結婚して家を出るまで
使っていたが今はひと部屋を寝室、もう片方を仕事部屋にしている。
そう広くもない住居でも充分だ。


何より冬場の日当たりの良さが気に入っている。
寒がりのわたしは、陽の当たらない寒い部屋は苦手である。
その季節の訪問客が「温室みたい!」と一様に声を揃えるほど
部屋が明るく、暖かい。
夏の蒸せる日は、玄関側にある川のおかげで涼風が吹きぬけ、涼しい。
環境的には申し分なくそれなりに満足して暮らしている。


しかし・・・
他家を訪れるとその気持ちが揺らぐ。
特にこの住居は築20年を経てそれぞれ部屋の
改装をしているところが多い。
ビフォー・アフターではないが、改築後どのように
変化しているのか、知りたい。


同じ棟の階下の知人宅を訪れると、ずいぶんグレード感がある。
同じ間取りでもこうも違うものかと目を見張る。
収納場所を広く取り、部屋に一切モノを置かない
スキッとしたインテリアが垢ぬけている。


イタリー製のシステムキッチンが据えられていた20年前は
それが自慢でもあったが今は、使い勝手のいい
日本製のそれに変えているところが多く、キッチンにも
こだわるわたしは、いいなぁと目を細めてしまう。


フローリングや壁面の真新しさ以上に、洗練された部屋の
美しさに、羨望を感じてしまう。
子どもたちが巣立ち、大人だけ残された部屋は
秋のセピア色の温もりや、落ち着きがあり、上品な居心地の良さを
いっそう感じさせる。


また友人が古くから住んでいる戸建ても、重厚なリビングと窓を
大きく取った朝日の入るキッチンが素晴らしい。
なんといっても、赤毛のアンを連想させるキッチンは
わたしの憧れでもある。


久しぶりの他家と、わが家を心の中で見比べる。
「ああ〜〜いい感じだなぁ」羨望を感じる。


満足感とともに、おいしいお茶を招ばれたりして
わが家に帰りつくと、う〜む・・・現実との直面だ。
真新しい家具もなく質素で、なんと雑然とした部屋であろうか。
まことに庶民的な暮らしの代表のようである。


だけれど、やっぱりほっとする!
わが家が一番!と思ってしまうのだ。
本に囲まれた生活臭のある、スキッとしていない部屋も愛着がある。
「老後は日当たりのいい縁側で編み物をして暮したい」
小さいころに描いていたことと、似たような生活がある。


たくさんのごちそうを食べ、素晴らしい景色にみとれた
旅から帰って、ひと心地着くあの心情と似ている。
ああ〜〜わが家はいいなぁと・・・。
自分んちの芝生に思いを馳せる。