わが家の因縁話し

いま30代の長男が生まれたとき、同居の姑は
「わが家の因縁がひとつ切れた!」と大喜びしていた。

代々、わが家系は「男」が育ちにくいとされる。
夭折し「長男でも第1子で生まれていない」ということらしい。


明治生まれの舅は第4子であるが、
長姉とは歳が離れて生を受け、男は舅がひとり生き残った。


夫も長男でありながら3番目の子であり、長姉とはひと回り以上歳が違う。


そのような経緯から、最初に男の子を産んだわたしは、
大手柄を立てたかのように義父母に、喜ばれた。


姑は夫を身ごもったときに、「今度もまた女の子だったら?」という
懸念から何度も堕胎を考えたそうだ。
当時の家意識や縁戚などの抑圧が厳しかったのだろうか。
飛んだり跳ねたり、からだを冷やすなどして、ずいぶん無茶をしたらしい。


見かねた姑の母に「今度は男の子かも知れないから」と諭され
無事出産すると、待望の男児だったというわけである。


夫の誕生は、ようやく長男を授かったことで
大層、大事に育てられたようだが
幼いころから怪我と耳鼻科の疾患を繰り返し
相当の心配をかけたようである。


たった一人の息子がケガばかりして、なかなか普通に
育ってくれないことに義父母は胸を痛めた。
特に義母は、その原因が「子どもを堕そうとした」ことにあるとし、
自責の念があり「胎教の及ぼす影響」について、
嫁であるわたしにもわが身をさらけ出し、語ってくれた。


受胎の3カ月前から胎教は始まっている。
だから心せよ、ということで「その瞬間」について
過干渉とも言えるほどうるさかった。
妊娠がわかると食べるものや、精神面での安泰を
心がけ、細心の注意も払ってくれた。


夫は3人姉弟のなかで、一番性格が良い
溺愛されて育った割には、わがままでもなく純真なのである。
物故者になったから言うわけではないが、本当に心根が優しかった。


いつも自分のことより、妻や子どものことを優先させ、気遣う。
スパルタで厳しい躾をしてきた、と子育てに関し、悔いてもいたけれど、
それは深い愛情に裏打ちされたものであり
子どもたちには、充分伝わっている。


そんな夫が長年、闘病したことを
義父母が知らないまま、先に逝ったことが救いではある。


姑の話していた「わが家の因縁」と関係があるのか、なしや。
男性の平均寿命からすると早世の域に入るのか。


佐藤愛子は、やはりエッセイのなかで
佐藤家の因縁ともいえる代々の「色情」に触れている。
大きく世の常識から逸脱した生き方を重ねる義兄たちに
長年に渡っての先祖の姿を感じていた。


著作「血脈」を書き終えたことにより、それまで身の周りに起きていた
数々の霊魂や不思議な現象がピタリと治まり、浄化されたとも言っている。


それぞれの家系のなかで背負うべきものが、あるらしい。


3年前に結婚したわが息子には、まだ子どもがいない。
これからどのような展開になるのか神のみぞ知るということか。
良くも悪くも現実を受け入れるだけである。
家系や「長男の意識」にも今は、こだわらない。


「徳を積み、因縁を切る」
姑が教えてくれたことである。
善行はできないまでも日々、感謝して生きようと、いつも思う。