老いては子に従え
人生の終焉までどのぐらいの時間があるのかわからないが、最後まで
心身ともに自立していたいという矜持は持っている。
かといってすべてを突っぱねているわけではなく
要所では子どもたちに甘えることを忘れない、したたかな親でもある。
いつも作り過ぎて余ってしまうことや、材料の調達や手間を
勘案すると、作らないことが正解なように思え、年末に届けてくれた
おせちに舌鼓を打った。
やっぱり持つべきは娘かとこの時とばかり大喜びする。
義妹家族たちと毎年、盛大に餅つきをやり、今年こちらにも
エビ入り餅などつきたて餅が廻って来た。
もちろん、わが家でも餅は既成の切りもちを準備していたが
やはりいまどきの杵つき餅は珍しく、粘りがあっておいしい。
訪れ、過ごすことが慣例になっている。
新居を構えたときに、母親であるわたしとの同居を望み
部屋を作ってくれてもいるが同居は辞退し、ひとり気ままな生活をしている。
親子でもスープの冷める距離に住まいし、時々機嫌伺いに
交流するのがいい関係でおれるというものだ。
取り寄せた「馬刺し」なども毎年豊富に食卓に出してくれる。
ニンニクとショウガをすりおろし、肉を巻いて食べる。
柔らかくて甘みがあり、おいしい。
かえでなど、小さい子がこんなに食べても大丈夫かなと
心配するほど、パクついている。
「ああ~しあわせ~」などと頬を紅潮させ欠食児童の
様相で熱心に鍋をつついている。
こちらが持参した寿司とともに正月の夕餉は賑やかに
心を満たし、最近飲まなくなったわたしも久しぶりにビールを
お代わりし饒舌さに拍車がかかる。
子のいない息子は、じゃれてくれるチビが可愛くてならない。
3人を背中と両手に抱き抱え、遊ばれている。
彼らにとって、ママの実家と、とーちゃんの実家と
そしてオジサンちは、大手を振って走り回れる処でもある。
すり寄っているチビたちの表情は、何度見ても微笑ましい。
ついこのあいだのクリスマスにもわが家で、3人はオジサン夫婦に
思い思いのプレゼントをもらったばかりだ。
まったくなんて楽しいんだ!
輝くような笑顔で弾けている!
1歳のチビスケですらお年玉の袋をいいもの?のように
感じているのだろう、にやにやしておし抱き、開けようとして
ママに取りあげられた。
傍にいるおねえちゃん(息子の嫁)にも好き好きの
ハグを忘れない世渡り上手な孫たちである。
躾に厳しくても人一倍子煩悩な父親だったから、孫に関しては
わたしの比ではないだろうことは想像できる。
器用だから手作りのおもちゃも作ってやっていたかもしれない。
「孫ってそんなに可愛い?子どもより可愛いか?」
「もちろん無条件に可愛いよ~」と答える。
しかし、内心ではやはり実の子どもの方がより情が深い。
血を分けた子は、子どもが髭をはやしたオジサンになり
貫禄あるママになっても、やはりいつまでも子どもである。
そんな大人になった息子や娘に、わたしは少しずつ
世代交代を感じ、たまに甘えることも良しとしている。
一番の子孝行は、病気をしないことだろう。
達者で気分良く暮らすことだ。
子どもたちが親に対する一番の親孝行は、それぞれの夫婦が
しっかり家族を守り、仲良く暮らすことだろう。
ザボンを嫁がおみやげに持たせてくれた。
どうやってたべよう??
今週のお題「私の年末年始」