修羅の棲む家
どなたかのブログで作家のストレスに言及された記事を読んだ。
浅田次郎氏がエッセイのなかで、ホテルで缶詰になり執筆していると
1時間おきにコーヒーと煙草を呑む、といい
作家のストレスは、今も昔も大変なものだと言われている。
そのことから作家のストレスに触れ、脚本家の「井上ひさし」氏が
妻の井上好子氏にDV(ドメスティック・バイオレンス)をふるっていたことを知った。
離婚後、好子氏は西舘好子の名で「修羅の家」を出版している。
入院中から読みたいと思っていたのだがようやく図書館で借りてきた。
井上ひさし氏のDVは、メデイアや出版界でも有名だったらしい。
原稿が思うように捗らないとき、好子氏の両親の前であろうが
子どもの前だろうが、狂気のように殴る蹴るを繰り返す。
編集者は原稿が欲しいばかりに「奥さん、一発なぐられて
ください」と頼み込んだと言うから尋常ではい。
井上ひさし氏の本を読んだこともなければ、芝居も
観たことがこともないわたしは、ウィキなどで多少の
情報を得るぐらいで知らなかった。
出自としてはそれほど良くもないらしいが
数々の輝かしい実績をみれば相当の才と運があり、それほどの君臨できる
手腕を持ちながらどうして妻を足蹴にできる性格に育ったのだろうか。
両親に捨てられ孤児院で育ち、苛められたというから
そのことも一因したのか。
やがて夫のそばを離れたい好子氏は、離婚を何度も申し入れたが
聞き入れられず、仕事の邪魔をされたり、当時再婚を意識していた
男性も失職させるような陰湿なことをやっていたという。
離婚にさんざん反対して好子氏を解放しなかったわりには、
離婚が成立すると自らは、再婚してまったくそれまでの
逆の安逸な家庭を手に入れ嬉々としている。
50歳を過ぎて生まれた孫のような子どもを、目に入れても
痛くないほど可愛がり、台所にもいそいそと立つ男になったというではないか。
男女の相性もあるのだろうが、今さらながら男と女の
そして夫婦の、親子の関係を思う。
好子氏夫妻には同志のような仕事が絡んでいたからそうなったのだろうか。
「修羅の棲む家」は、井上ひさしと離婚してから書いたもので
暴露本ではないとしながら、かなり強烈な夫婦の生き方をえぐっている。
好子氏と自分の親と、娘ふたりの確執にも触れていている。
仕事、仕事でほとんど家にいない好子氏に彼女たちは
かなり批判的で、どちらかというと父親の側に立っていることが
母親としてはやりきれなかっただろうなと思える。
一方では、いま成人した彼女たちが母の生き方を客観的に見据えるようになり
理解してくれているのは何より嬉しいのではないだろうか。
母として多少は安堵の思いがあるのではないか。
それにしても「修羅の家」は、強烈過ぎた。
読み終えて疲労感が残るほどである。