夫婦のかたち

先日、横浜でお会いした師は、行動的な女性である。
油絵や水彩画を専門にしており
寝ても起きても三度のご飯より、描くことが好きなひとである。



「素晴らしい出会い」で綴っているので、よろしければ
こちらもご覧いただきたい。


その彼女が年に数回訪れる海外へは一人旅が多い。
たまにツアーを利用しても、個人旅行が好きだという。
英語やドイツ語が堪能で言葉に不自由しないのと
現地の人とすぐ仲良しになり、行動が一定しないからだそうである。


「誰もわたしについて来れないのよ!」彼女は、豪語する。
友人や妹たちとの旅は、あまりの強行軍にブーイングだそうである。
外国でも知らないところをよく歩き
食事は一日2回のみ、みやげもの店やブランド品に興味なし。
各国の名だたる美術館には一日8時間は滞在し
許可を得て模写をし、1週間通ってもまだ観切れないという。


日本の美術館でさえ、数時間いると疲れてしまうわたしは
そのパワーに圧倒される。


作品展の数日前にスイス旅行から帰った彼女は
旅の疲れを癒すために、翌日もう山登りをしている!
頭を切り替えるためらしい。
時差ボケで2、3日寝ないと元に戻らないわたしとは大違いだ。


この春ごろにも国内では伊豆に取材と称して1週間ほど
滞在していたようだが、その間、島の人と親しくなり
その家に上がりこみ、その様子をメルマガなどで配信するなど
いつも、居ながらにして彼女の生活の一端を知ることができる。


強風のように勢いよく走りまわる彼女には
なぜか、家庭の匂いがしない。
夫がいるのかいないのかわからない。
子どもはいないようである。


最近になって「夫持ち」だということがわかった。
あれだけ家を空けて、夫は不満に思わないのだろうか?
うまく連れ合いを操縦しているなぁ、と感心もしていた。


一日の大半を仕事や、自分の絵を描くことに費やしていて
気がついたら夜になっていた!ということはいつものことらしい。


「わたしたちはお互いのことに一切干渉しないのよ」
「それぞれが好きなことをして自分の世界を大切にしているの。
かといって喧嘩もしないし、仲が悪いわけでもないの」
「一緒に暮らしていても生活費はもらってないわ。家のローンだけ彼が払っているの」
茶目っけに、なんでも話してくれる。


なるほど・・・
そんな夫婦のスタイルもあるのだ。
精神と経済の自立した女性は、たくましい。
お互い依存しないで、同じ屋根の下で暮らす。
なかなか進歩的で、ひと世代前には考えられなかったことである。


わたしが結婚した当時、姑は言ったものだ。
「柱に障子を合わせるがごとく」妻は亭主に沿うものだと。
いまや、若い世代の結婚観や熟年世代の夫婦像も様変わりしており
相手に尽くしたり、合わせたりは死語になりつつある。
美徳ではなくなったのだ。


我慢や忍従は、人間を成長させるよすがとなるだろう。
若いときは、そのような環境もひとつの糧になる。


熟年世代を迎え老境に入る今、わたしは肩の力を抜いて心地よく生きたい
自由に時間を繰り、思うままに生きたいと願う。


「すべてにおいて100%」というのはなく
自由を謳歌するということは、その対極にある苦悩など
自分で引き受けねばならない。
そのことを十分覚悟して「個」を愉しむ。


カップルや夫婦の形は、自分色に染められる。
前述の師の生き方をみていてそう感じた。