切ない話し、その後

「切ない話し」を1年半前に書いた。

早世した友人の「夫」のことを、思いがけなく知り

そのことを記したものである。

2010年11月ブログ

良かったら読んでみていただきたい。

 

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 今日はその後のことである。

先日、ショッピングセンターを出て

歩いているところを後ろから声を掛けられた。

ブログに登場する「知人の夫」の実姉さんである。

 

 日傘を差すわたしを、よく認識できたものと思うが

彼女はここぞとばかり勢いこんで、話しかけてくる。

 

 懐かしさが立ち、歩きながら彼女の話に耳を傾けると

遺された夫(実弟)と、出戻りの娘は同居していたけれど

やはりソリが合わず娘は、生まれたばかりの子を連れて出た。

そして縁あって再婚したようである。

 

いま再婚相手の実家で夫の両親や祖母たちに囲まれ

しあわせに暮らしていることが、救いだという。

 

 その後、父親は娘の暴言や暴力に怯える心配もなく

自分を取り戻せたかに見えた・・・。

 

 しかし、実態は相変わらず腑抜の状態で、日々の生活もままならない。

自分ひとりの食事さえ満足に作ることができない。

彼女が弟宅を訪れ、家事を手伝っていた。

鬱が激しくなり、いま近くの医院に入院しているのだが

介護施設への移転も考えているという。

 

 老人専用の医院は、医者の「ドル箱」のような感があり、

転院の必要もないようだが、日々の介護が必要だ。

 

 長引く入院で、家に帰ることは不可能に近い。

自宅も売ったようである。

元公務員の彼には年金なども含め、経済的な心配は何ひとつない。

むしろ、余裕はある方だと言う。

 

 再婚した娘は、病んだ父親の面倒は見られない。

元々真剣に見る意思もないようである。

入院中の父親の世話もすべて伯母に頼っている。

たったひとりの子である娘の行動が理解できない。

 

 入院生活が長くなると歩けなくなる人は多い。

彼は、60歳半ばにしてやはり歩けなくなった。

最近は「認知症」の症状が出て、彼女と(実姉)

話していても、通じないことが多くなった、と嘆く。

若年性認知症になった弟を不憫に思う姉の辛さが伝わってくる。

訊いているこちらも、胸が痛む。

 

 本来なら退職して悠々と言えないまでも

自適な生活が待っていたはずである。

好きな趣味に興じたり、旅をしたりとそれなりの晩年を

過ごせたはずである。

 

 昨今、平均寿命の伸びで、妻に先立たれ悲嘆にくれる男も珍しくはない。

世間的には夫に先立たれた妻のほうが元気を取り戻しイキイキと

暮らすが、条件的には彼は、恵まれているほうだ。

 

なのに、一生懸命仕事をし、子を育て上げた結果が

これだとあまりに寂しい。

優しい彼の心根を知っているだけに現状が哀れでならない。

 

 妻の死後、再婚の話もあったのに娘が反対し、実現しなかった。       

「あのとき再婚していれば・・・」と、実姉さんのため息は深い。

 

 確かに親身に、心を開け身近で援助してくれる

伴侶がいれば、もう少し彼の晩年も精彩のあるものに

なっていたのかと、思える。

選択が間違っていたのだろうか。

 

人間、生きていると予期しないことの連続である。

嬉しいことや楽しいことより、悲しいことや辛いことのほうが多いと感じる。

艱難辛苦と言えるそれらをどのように受け止め、対処していくのか。

一瞬一瞬の選択で、後の人生がずいぶん違ってくるように思う。

 

 自分を守るのは自分しかない。

他に依存しないで、自らを律することこそ

安寧に暮らせる道標ではないかと考える。

 

 友人の夫さんが「普通」に暮らせる日が来るのだろうか、と

他人事ではない話しに憂えている。