適応能力

新年度が始まり各事業所では、「総会」が開催されようとしている。
この時期それらの準備におおわらわであると思う。


わたしは数年間、ある団体事務局を担う立場にいた。
府の外郭団体であるから、府庁を退職したそれなりの役職者が天下っているポストでもある。たまたまスタッフで採用されたわたしは、在籍1年を経ずしてその要職?のポストに抜擢されてしまった。人件費を浮かす意味もあっただろうが、わたしには大きな責任と重荷が、のしかかることになる。


今の時期、各団体事務局は総会の資料作りに余念がない。
1年の総決算と新年度の事業計画の承認を得る大事なセレモニーである。
総会資料の冊子に挿入する記事も、まとめないといけない。
それぞれが経済産業省の経済白書や経済新聞からネタを拾い集め文章にするなど頭を悩ましながら作成している。


来賓、役員、会のメンバーや他団体などの目に触れるから執筆者には、緊張している雰囲気が感じられた。


その文章の作成にあたり、わたしはサミュエル・スマイルズの「自助論」や、アレキシス・カレルの「人間この未知なる者」などを引用したことがある。


《カレルは「動物や植物などの生物体の価値は、適応能力である」といっている。中世の騎士たちが過酷な環境に耐え、大変な状況に適応して、すごいエネルギーを発揮したことを例に挙げ、快適な環境、心地よい環境は、人間の適応能力を刺激しない。安楽な環境の中に長く人間を置くと、生物体としての人間の価値である適応能力が摩滅し、堕落が起こる》とも言っている。


安逸な環境は人間を堕落させ、過酷な環境は人間を向上させる。


また人間の顔は筋肉で作られ、何を思い、どう生きるかで
そのひとの顔の表情は決まる、とも言っている。
一生懸命、自らを奮い立たせ生きてきたひとの顔はきりりと引き締まり
いい顔をしていると言及している。


わたしは、このくだりが好きで、経済現況に特化している今までの文案を変えてみた。


前政権時代、それぞれが甘い関係にあり、特に団体などは「おもらい集団」と化している部分もあった。言葉は悪いけれど補助金獲得のためにやっきになるところが多い。そんななか、自助努力や自らの生き方に関する精神論を引っ張り出したのである。

結果はいかに・・・・
役員などの反発をかうことを覚悟していたが、あに図らずや・・

懇親会の席上で挨拶がてらテーブルをまわるとそのことについて、涙を流さんばかりに感激され握手を求められ、感謝を述べられたのには、こちらが驚いた。印で押したように似たような文章が並ぶ資料のなかで、新鮮に感じたのかもしれない。


やっぱり彼らは一国一城の主であり、百戦錬磨をくぐってきた事業主である。その受け入れと感性の豊かさにこちらが恐縮してしまった。

不景気だ、と眉間にしわを寄せ、その原因を他に求めたり安易に
救済策にしがみついたりせずに、自己を向上させ自らに因を求めることこそ事業の発展につながるといえる。

やはりそのように努力しているところは景気に左右されないで
牛歩の歩みでも、確実に成果をあげている。

人間、いかなるときも、適応能力を試される。


八重のチューリップ