働くということ Ⅱ


きのう登場したR嬢の母親はわたしと同世代である。
似たような時期に結婚し、子どもふたりは同じ年齢である。
違うところは、彼女は大の美貌の持ち主であること。
大げさでもなく、ヴィヴィアン・リー似のきりっとした情熱的な目をし
美人にありがちな冷たい雰囲気も持っていず、謙虚で愛想がいい。
夫君は、ケビン・コスナー似のこれまた男前で、如才がない。
まれに見る美男、美女の二人は結婚してからも
ずっと「〜ちゃん」、「〜くん」と友達のように呼び合い、仲がいい。


結婚してから外で働いたことがない彼女は、自営業の夫の
経理を自宅でしているけれど、同世代の知人・友人が
バリバリとかっこよく働く姿をみるにつけ
「いつか自分も何かしたい!」と思い続けてきた。


ようやく「何をしたい」という目的ができたそれは
長年ゴルフを一緒にしている夫妻から伝授された
食べ物の店「創作おでん」だった。


まったくの素人が、おまけに接客など経験もない一主婦が
頼りにするのは自分の舌のみである。
家庭料理には若干の自信があったことも強みである。


店舗探しを皮切りに1,2年ほどその準備にかかり
創作おでんを中心に夫と一緒の食べ歩きが始まった。


彼女を知るみなが驚いたことに、店は自宅とは別に他の住宅地に
戸建の新築を建て、1階を店舗に、2階を独立した家にし
娘たち夫婦に住まわせることにしたのである。
ちょうどそのころにR嬢は結婚している。


店のインテリアはしっくりとした和風であり
カウンター席ばかりであってもオーナーである「ママ」と
話ができる対面にした。
店の格を現す生け花もフラワーアレンジを
やっている知人を紹介し週ごとに活けるようにした。
本格的な店構えである。


店のオープンは午後5時からにし、自分の仕事を早めに切り上げた
夫も厨房やカウンターに入り、妻の仕事を手伝うことにした。
彼女の友人にも手伝ってもらい、いよいよ開店の運びとなった。
案内状作成などに、わたしは少し加わった。
店の名は「月うさぎ」器の類もそれに合わせ、
シックな焼き物を選んでいる。
すべてが主婦の仕事にしては完璧でスタートした。


店は同業者が近くにないことと、薄味仕立ての上品な
コース料理が、おでんとはいえないほどの美味で評判が良く
口コミで広がっていった。


何より美人のママ目当てに通ってくるひともいて
開店から半年ほどを経て少しずつ軌道に乗り始めた。
お酒を置かないつもりがお客さんの要望で置くことになり
お造りなどもメニュウになかったのを取り入れたことも
売り上げアップになったようである。


店がまぁまあ順調に推移しているように見えたころ
肝心の彼女が「疲れた、疲れた!」といい、疲労を隠せない。
何しろ家から出たことがない女性が一気に店を切り盛りし
仕入れ、厨房、接客などをやりだしたのだから
身体に変調を来たしても無理からぬことである。
休日も家の用事が山積し好きなゴルフに行けない。
だんだん仕事をしていることでストレスが溜まってきている。


店はそれなりに繁盛しても彼女はもう店の運営が辛いようである。
しきりに辞めたいと言い出したのは開店して5年ほど経ったころか。
ちょうど飲酒運転の取締りが厳しくなり、少しお客さんの足が
以前より遠のいたころと重なっている。


さんざん迷ったあげく、店は閉めることにした。
「店舗だけ貸して欲しい」という要望もあったようだが
2階に娘夫婦を住まわせている以上、それはできない。
店舗と住宅つきで売却をした。


たくさんの顧客がつき、様々な世代、世界の人との縁を得て
彼女は店を開業し、閉店したことにいささかの悔いもないようである。
「あれは勉強になったし一度経験したことで思いがすっぱり切れた!」
ということで、今はまた穏やかな専業の主婦にもどっている。


店を閉めてから完全な同居となった娘夫婦に子どもが生まれ、
最近になって婿殿が家を出、孫の世話に夢中になっている彼女である。
女が、男でもそうだが仕事をする・・・というのは大変なことである。


報酬を得るということは、社会がそれを受け入れている証であり
プロの領域である。
プロ意識を持続させ、長い仕事生活にまっとうさせることは
至難のわざである。


経験しないとわからないこともある。

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