「だんじり祭り」

今週末に、わが町の祭りがある。
各町には寄付金の多寡を記したビラが貼られ
提灯や、やぐらなどが設置され、その準備が進められている。


夕方、近くの川べりを散歩すると
甘い金木犀の香りと寂しげな虫の音とともに
遠くテケテン、テケテンという,お囃子や太鼓の音が聞こえてくる。
祭りの練習なのだろう、季節を実感する。


祭りの日、それぞれの家には「祭りのご馳走」が並べられ
盆と正月を一緒にしたような賑やかな食卓になる。


スーパーでは、「だんじり祭り」にあわせて、来客用のオードブルや
握り寿司の予約を取る案内告知が目に付く。
祭りは、地元の老若男女問わず、正月よりも
楽しみにしている行事だと聞く。


わたしはこの祭りに頓着しない。
娘夫婦も、さほどの関心を示さない。
潤平たちは、近くを「だんじり」が通るときだけ
外に出て見ているようである。


だんじり祭り」は岸和田市が先月、ひと足先に終えていて
こちらは観覧席まで設けられるほどの知名度を得ている。
電車を乗り継いでまで、近隣の町などから見に行く盛況ぶりだ。


前鳩山総理の妻が、地元岸和田のデザイナー、コシノ3姉妹の
顧客であることから毎年、夫婦で駅前のコシノの店にだんじり祭りを
見に訪れていることは知られている。


あの荒っぽくて、騒々しい「だんじり」には、関心のないわたしだが
どのようなDNAの突然変異か、愚息はこれが大好きである。
キチガイと言ってもいい。


キチガイが講じて、いまやあの地車の上に立って踊る、
何とか?(聞いてもすぐ忘れる)という役まで引き受けている。
その役に就くには、いくつかの条件があるらしく
祭りキチガイでも簡単にはなれないのだそうだ。


その条件のなかに、その町在住であることも挙げられる。
キチガイは、結婚して居を構えるときもその町にした。
村や町の年寄り方と相和して、仕事以上の?情熱をかけている。


熱くなれるものがあるのは、いいことだ。
仕事のストレスの緩和剤の役目も担う。
しかし・・・


地車の上で踊ったりするのは、危険を伴う。
あの引き回しというのは、傍でみていても恐ろしいほどの迫力がある。
事故で寝たきりになった若い衆もいる。


毎年、祭りの季節になるとわたしは心配で、落ち着かない。
事故に遭遇すると本人ならず、新婚の嫁の人生まで台無しになる。
そういう意味では親不孝な子だと言える。


そんなことが心配で、一日でも早くその役から降りてくれる日を
わたしは願っている。
キチガイ熱はようとして覚めない。



愚息のところの祭りは先月、無事終えた。
息子の嫁さんと、「何ごともなくて良かった」と
肩をなでおろす。
息子よ・・・早く祭り熱から覚めて欲しい。


案外、似たような気持ちの家族は多いのではないか?と
思ったりする。


愚息が親の心配をよそに・・・