ブログの効用

今さらではあるが、ブログの「カテゴリー化」を進めている。
拙文を記したそれも来月から3年目を迎え
内容を整理したい気持ちに駆られた。
関連する記事を分類してみたくなったのである。



カンピサクラ
昨年描いたものです



こんなことは、ブログ開設当初からやっていればいいものを、
何事にも無頓着で鷹揚なわたしのことだ。
今ごろになって始めようとするのは、まだいい方かも知れない。
人間、忙しいときに面倒なことを考えつくものである。


数日前から2年分の記事を分類している。
ネズミの引っ越しのようにボチボチやっているが
忘れていた出来事やそのころの感情など思い出し
表題によってはつい内容や、コメントまで
読んでしまうから一向に進まない。


今1年前まで、さかのぼって来ている。
もっともこの1年は1日おきのアップであるから早い。
ちょうど震災の前ぐらいまでだが
特に原発に関しては言葉がないほどの驚きと悲しみと
怒りの心情を綴っている。
まだまだ、先が見えない。
いったい日本はこれからどうなるのだろう。
フクシマは対岸の火ではない。
諸々憂えること暇がない。


「健康」に関する記事も多く書いている。
最近は少しこのことから遠のいているような気もしていて
久しぶりに下記の内容を読んでみた。


2011年3月9日付けのブログである。
シニアナビのrippleさんのブログから引用させていただき
自らもそのことに関心を持ち「真っ向法」なる運動も課してきた。
1年が経過し、その結果はいかに・・・


仰向けになり足がお尻に付くようになったか・・
開脚が広がったか・・・
さほどの進歩はないけれど確実に日々のストレッチの
重要性を認識するようになっている。
歩くことに関してもそうである。
良いことはすぐに取り入れ実行に移すけれど
いかに持続させるかが至難の技だ。


ブログは回顧録のようなもので、たまに読み返すと
以前の関心事がわかり、そのような意味でも発奮できたりする。


孫のことなどその環境にないひとには
まったく関心のないことであり自慢にも聞こえたりして
顰蹙ものかも知れない。
けれど、やっぱりその時にしか書けないことってあり
内容にも「旬」があるように感じる。
成長の記録としてや、何より自分の心と対峙できることがいい。


少しずつ、分類を進めていく作業のなかで
笑ったり、思い出に浸ったりしている自分がいる。